1.時代背景、舞台、文脈背景
〇概要
最早、ゴルゴタの丘での十字架の贖いの時は終わり、イエスは葬られる事になる。
この箇所の中で特にマルコが強調していることは、イエスは確かに死んだのであり、その死が公的に確認され、墓に葬られたのが、証人の証言に基づいた事実であるという事である。
この墓への葬りは、使徒信条の中でも確かに告白されている一文であり、イエスは確かに死んで墓に葬られ、その後、三日目に死人の中から復活したのである。
ユダヤでは夕暮れを一日の始まりと数えたので、夕方前に亡くなられた金曜の時間を一日目、日没から次の日暮れまでの土曜日を二日目、そして、その日没から三日目の日曜日にかけての日を三日目と数え、三日目にキリストが復活したと伝えられた。
また、マルコは「ヨナの例え」についてイエスが語ったことについては記録していないが(マタイ12章40節)、事実、三日の後によみがえるとイエスが直接行った予告についてはしっかりと記録を行っている(8章31節)。)
このように、イエスは三日目に復活する事になる。三は完全性を表現する象徴の数字であり、神の御業の完全性と究極性を表すのに適切な日数である。その予告は、これから確かに果たされるのである。
多くの弟子達にとって、イエスの死と葬りはその目に敗北に映った事であろうが、事実、最早贖いは完成し、十字架の上から勝利の宣言はなされた。その勝利の宣言は、それを目撃した百人隊長や、遠くで眺めていた女達を始めとして、その十字架を見上げる者には確かに響いたのである。事実、この時は最早嵐の過ぎ去った凪のような時間であった。
〇金曜日の夕方
金曜日の夕方であるとマルコが注意深く説明しているのは、これがユダヤ教に於ける安息日の直前であった為である。この安息日に、木に吊るされたままの遺体が残っている事は、イスラエルの陣営の中の重大な汚れと認識された。木に掛けられた者は呪われた者であり、安息日は主にあって聖とされているからである(申命記21章23節)。
また、安息日にはいかなる仕事をしてもいけなかったことから、イエスの埋葬は至って迅速に、かつ簡易的に行われた。
正式で丁寧な香料を塗る葬りは、アリマタヤのヨセフの葬りを目撃していたマグダラのマリア、及びヨセの母マリアを筆頭に行われる事となる(16章1節)。
これほど大きな事があった直後であったとしても、マグダラのマリアを始めとして、女性達はいかなる行動もとらなかった。
安息日が、この時代に於いても特に大切に取り扱われた証拠である。
〇完全なる死
イエスは確かに死んだのか、長らくこの事については議論が続いていた。近代の神学者によって、イエスはただ気絶していたのであり、また一時的に仮死状態を経て息を吹き返しただけであると言う説も唱えられたが、それはピラトが、百卒長を通して確かに死んでいる事実を調べさせた事から排除される。
他の福音書によっても、わき腹を槍で突き刺されて死亡が確認されている。例え気絶であろうが、仮死状態であろうが、このわき腹への槍によって確実に止めは刺されている。これで生存していると考える方が不合理であろう(ヨハネ19章34節)。
また、その葬りはアリマタヤのヨセフによって行われた。彼は遺体の下げ渡しを受け、簡易的にではあるが葬りの用意を行い(46節)、亜麻布に包んで墓の中にイエスを埋葬した。
その様子を仔細にマグダラのマリアと、ヨセの母マリアが見て居たとマルコははっきり記している。
おそらく、サロメや他の女達(40節)、また雷の子ヨハネもそれを見て居た事だろう。
イエスは完膚なきまでに、私達の罪の身代わりとなって死に、墓に葬られたのである。
〇アリマタヤのヨセフ
この人はユダヤの最高法院サンヒドリンの有力な議員であると、全ての福音書で記載されている。
有力な(ギ:ユースケモウン)は、著名、裕福、影響力がある、名誉があるなどと言う意味を含む単語であり、このヨセフがサンヘドリンの中でも有名な人であったことは確かなようである。恐らくはサンヘドリンの中でも非常に尊敬されている人物であり、イスラエル指導者達の中では、珍しく本当に神を畏れている人のようである。
彼は間違いなく、イエスによって地上に救いが訪れる事を確信しており、ほぼすべての議員がイエスを十字架に掛けて侮辱する中にあっても、十字架を見上げている人であった。
しかし、そのような敬虔な人物でも、最早、十字架の上で死んで敗北したかのように見えるイエスと、自身が関係ある事を名乗り出るのは非常に勇気の必要な行動であった。
サンヘドリンでの立場が危うくなるだけでなく、下手をすれば追放まであり得るような中で、それでも彼はイエスを愛と配慮によって葬る事を選んだのである。
この時、このヨセフが用いられたことにも意味はあった。
何故なら、彼のような有力者でなければ、イエスの屍体の下げ渡しは行われなかっただろうからである。
下賜る、即ち下げ渡しとは、本来ローマに属する財産や物資を、関係の無い者に譲渡する行為だからである。サンヘドリンで有力であり、かつ有名人であったヨセフだからこそ、恩を着せる名目でピラトはその要求に応じたのである。
恐らく、彼のこの勇気ある行動は、イエスの近くに居ながらもイエスに背を向けたペテロと、皮肉も文脈的に対比が描かれているように見える。ヨセフは、立場的にはイエスの弟子の集団に加わる事が出来ず、むしろ敵対する側にいたのであるけれども、遠くから十字架を見上げていた彼の所にも、神の栄光は届いたのである。
イエスの近くに居ながら、イエスを裏切った十二弟子はこの時何もすることが出来なかった。
全てが終わった後に於いても、弟子達はその葬りに顔も出さなかったのである。
十字架の栄光による新しい法則は、既に多くの人々に適用され始めているのである。
尚、トリノの聖骸布と呼ばれているものと、この時にヨセフがイエスを包むことに用いた亜麻布は一切の関係がない。
〇ピラトによる確認
十字架刑についたイエスが日が沈む前に死んだことはピラトにとっても驚きであったはずである。何故なら、十字架刑は長らく苦しめて殺す為の処刑方法であり、通常は放っておいても数日は生き延びるからである。
事実、イエスの左右の罪人は死なず、夕暮れ時に足の骨を折られる事によって絶命した。
十字架はその姿勢から起こる肩甲骨の脱臼によって、呼吸困難に陥る事で死に至る刑罰だからである。この呼吸困難は括りつけられた両脚を激痛に耐えながらも持ち上げる事によって一時的に緩和された。
力尽きて脚の力を抜き、窒息によってまた脚の力を入れると言う口語をもって、段々と衰弱させ、最後は窒息死に至るのである。
なので、脚の骨を折る事でその死の時間は自由に調節できる。
そうした訳でもないのに死ぬということは、余程衰弱していたか、最早十字架の上での死を従順に受け入れて潔く行ったかのどちらかである。
既に死んだのか(ギ:エデ・テセンケン)は、事実、現在死亡しているのかという業務的な確認である。近くの私兵ではなく、わざわざ百卒長に行かせたのは、賄賂や不正によってその情報が捻じ曲げられる事を防ぐ為である。事実、死刑の執行に於いて死亡確認に不正が関わる事は、時折起こるものであったようだ。
ローマ兵士、少なくとも百卒長を勤め上げる人間は無能ではない為、そのような賄賂や不正を差しはさむ余地も無く、確実にイエスが死んだことを確認し、ピラトに事実を報告した。それ故にピラトも、その死が確かである事に納得し、屍体を下げ渡す事について同意したのである。
〇墓
この時代の墓は様々な形の物が考古学的に発掘されてはいるが、岩をくりぬき、そこに遺体を収めて岩で蓋をすることは、事実発掘調査などによって実際に行われたものであることが確認されている。
この場所について、二人の女性が確かに場所をしっかりと確認していた事は非常に重要な事であった。
彼女たちが証人として墓に葬られるところを目撃していたので、イエスの墓の場所を間違えたのだという反論を封じる事が出来たからである。
この二人の女性は、確かに葬られたはずの墓が空になっている事を目撃する証人となった。
安息日前であったので最低限の葬りが行われた後、彼女達は安息日明けの三日目に、イエスを丁寧に葬るはずであった。
〇女性達
この時、イエスの死を確認する証人に女性達が選ばれた事は不思議な事である。
この時代、女性達には法廷における証人の能力は認められていなかった。
彼女達がイエスが確かに死に、復活したと言っても誰も信じる事は無かったであろう。
しかし、イエスの十字架の贖いの完成によって、最早そのような権勢による時代は過ぎ去った。
十字架を見上げる者、イエスを信じる者は全てが平等に扱われ、証者として立てられる時代がやってくるのである。
それは福音における証に於いても同じである。
福音の証人となる人々は、最早権勢にも能力にもよらず、イエスの十字架と、与えられた助け主によって証するのである。
2.詳細なアウトライン着情報
〇アリマタヤのヨセフ、イエスの葬りを申し出る。
42a さて、(時刻は)夕方になっていた。
42b その日は備え日だった。
42c すなわち、安息日の前日であった。
43a その為、アリマタヤ出身のヨセフは、勇気を出してピラトのもとへ行った。
43b そして、イエスのからだの下げ渡しを(ピラトに)願い出た。
43c (このアリマタヤの)ヨセフは、(最高法院サンヒドリンの中でも)有力な議員だった。
43d (彼)自らも、神の国を待ち望んでいた。
〇ピラト、イエスの遺体を下げ渡す
44a ピラトは、イエスがもう死んだのかと(そのあまりの早さに)驚いた。
44b そして100人隊長を呼んだ。
44c (ピラトは)イエスが既に死んだのかどうかを尋ねた。
45d 百人隊長に(イエスが死んだのかどうか事実関係を)確認すると(どうやら本当に死んでいる事が事実であったようなので)、ピラトはイエスの遺体をヨセフに下げ渡した。
〇ヨセフ、イエスを葬る
46a ヨセフは亜麻布を買った。
46b (その後、)イエスを降ろして(買った)亜麻布で包んだ。
46c (そして)岩を掘って造った墓に納めた。
47a そして、墓の入り口には、(墓の入り口をふさげるぐらいの大きさの)石を転がしておいた。
〇女達、葬りの証人となる。
47b マグダラのマリアと、ヨセの母マリアは、イエスがどこに納められるのか、よく見て居た。
着情報3.メッセージ
『立てられた証者』
聖書箇所:マルコによる福音書15章42〜47節
中心聖句:『マグダラのマリアとヨセの母マリアは、イエスがどこに納められるか、よく見ていた。」』(マルコによる福音書15章47節) 2022年7月10日(日) 主日礼拝説教
イエス様は、ピラトと百卒長によってその死が確認され、アリマタヤのヨセフによって墓へと葬られました。私達の罪の罰の身代わりとなって死んでイエス様の、贖いの業の完成は、死と葬りの証者として立てられた二人の女性達によって、確かに後の世へ伝えられました。
イエス様が確かに死なれたのかどうか、これは後の世でも多くの議論がされた問題です。もしイエス様が死んだように見えただけで実際には死なれておらず、生きて十字架から逃れられたのだとするならば、私達に約束されている罪の赦し、永遠の命、新しい身体、神の子の身分などの福音の約束は、全てが無かったことになってしまうからです。罪の贖いと赦しの業を完成させるために、イエス様は十字架の上で死なれる必要がありました。私達自身の信仰にとっても、イエス様が死なれた事を確認するのは、十字架の贖いを信じる為に必要な事です。後の世の私達には、イエス様の死を検分することはできないからです。だからこそ、立てられた証者によるイエス様の死についての証言を信じる他ありません。教会全体、キリスト者全体にとってこの証言は命綱なのです。幸いな事に、イエス様の死は、総督ピラトと、配下の百卒長によっても確認されています。遺体を引き下ろす時、ローマ兵がわき腹に槍を突き刺して確認したことからも(ヨハネ19章34節)、イエス様の死は揺るがないものでしょう。そして、イエス様はアリマタヤのヨセフによって、確かに墓の中へと葬られたのです。
二人の女性が証者として神様に立てられた事は、古い約束の時代の終了と、新しい約束の時代の訪れの象徴的な出来事です。ユダヤに限らず、当時は裁判の席に於いて、女性の証言能力は信用されませんでした。それにも関わらず神様は、それを承知の上でマグダラのマリアとヨセの母マリアの二人の女性をお選びになられ、歴史の中で最も重要な、イエス様の死を証言する証者として立てられたのです。当初は十二弟子ですら、二人の証者を信じることがありませんでしたが(ルカ24章11節)、彼女達の証言によって、今や現代に至っても私達はイエス様が「死にて葬られた」と、使徒信条で告白する事が出来ます。この事は、ヨエルやゼカリヤの預言の通り、能力や権勢に依らず、全ての人が神の霊によって証する時代が訪れたことを示す先ぶれだったのです(使徒2章17節、ゼカリヤ4章6-10節)。これによって、私達もまた、自分自身が、イエス様の十字架の贖いと福音の約束を証する者として堅く立てられている事を知る事が出来ます。私達には、証者に足る、知恵も知識も権威もありませんが、心の内の神の霊によって、力強く、イエス様を証しすることが出来るのです。
福音の約束は、そのまま信じて受け入れるに足る恵みです。私達はこれを、二人の女性の証言によって、今も堅く信じ続けています。そして、この女性達と同様に、私達もまた、福音の証者として立てられています。神の霊による、私達の力強い証しは、次の人の信仰を支える確かな要となるのです。だから恐れずに力強く、隣の人に救い主イエス様を証ししましょう。
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