1.時代背景、舞台、文脈背景
パウロの伝道計画について語られている箇所である。
4章では、パウロがやってこないという理由で高ぶっている人々が居たという記述があるが、これは当時の交通事情とパウロが手紙を書いた時期に関わっている。
詳しくは後述するが、当時の地中海では、風の関係から3月〜9月の半年間以外の航海は危険とされており、船でギリシャへ移動するならば、この期間の間に行われた。しかし、パウロが手紙を書いているのは、過ぎ越しの祭り(イースター)前後の4月ごろであり、この時点まで船にのってパウロがやってこないなら、自分たちのところへやってくる計画は無いのだ、と考えて高ぶる人々が現れていたのである。
しかし、パウロが4月を過ぎてもコリント訪問を行わなかったのは、エペソで大きな伝道の戦いが起こっているからであった。その恵みの可能性は大きく開かれており、同時にその機会に対するサタンの妨害も非常に大きかったため、エペソでパウロは戦い続けていたのである。
それ故に、少なくとも五旬節(ペンテコステ)前後(6月頃)までは身動きが取れないとパウロは言っており、エペソからコリントを目指すならば、それ以降でなければならなかった。9月以降は海路が危険になり、11月頃には封鎖される。この状況を鑑みると、コリントを訪問しようと思うならば、6月過ぎてから動き出すのではあまりにも遅すぎるのであるが、パウロはその状況に対応して、あらかじめマケドニア経由での陸路でコリントに向かう計画を立てていたのである。
これは、パウロの、コリント教会へ出かけて行って必ず問題を解決するという強い意志が込められており、晩秋に到着し、例え一冬を費やしてでも、パウロはコリント教会を指導するつもりであった。しかし、それも、「主が許されたら」である。
パウロの伝道計画から、私たちはいくつかのことを学ばなければならない。
第一に、主の計画が進んでいく時には、サタンによる妨害も多く表れるということである。普通ならば、不利な条件や妨害、また障害が予見されるとき、そのリスクによって私たちは自分の計画を取りやめたり、ゆがめたりしてしまうかもしれない。しかし、主の計画を押し進める時、クリスチャンはこれに必ず妨害が起こることを知っているので、リスクや障害、不都合などによって、主に在って一度定めた計画を変更することは許されないことを知らなければならない。
第二に、私たちがいくら大きな計画を立てたとしても、それが主の計画と一致しなければ、私たちはその計画を潔く破棄しなければならないし、決まったことであったとしても、主の介入によって常に計画が変更される可能性を考慮しつつ行動しなければならない。
主の計画は私たちにとっては唐突に思えるようなことも多い。それ故に、まことに主の計画が示された時、私たちは既に決まっている自身の計画の故に頑なになって、主の計画に反してしまうことも起こりえる。しかし、そうであってはならない。自身の強い願いに左右されず、既に決まったことであるからと意固地にならず、常に主の御心が何であるか、身の回りに起こる一つ一つの出来事を通して、柔軟に見極めることをしなければならない。
私たちの心や計画によってではなく、主の御心こそを何よりも大切にすること。これこそが、私たちが主の収穫を戦ううえで、また主が開いて下さる大きな門からの豊かな収穫を勝ち取る上で、何よりも大切なことなのである。
〇5節
新改訳2017の日本語には表れていないが、マケドニアを通った「後」の部分に、前置詞のホテンが用いられている。これは不定詞で、何時マケドニアを通っていけるかその時期はわからないが、という意味を持つ。
これは、マケドニアの各教会を訪問するルートを通って、という付け足しの部分であり、マケドニアを通りながらコリントへやってくるという計画を、パウロが立てていることは、恐らくコリント教会の人々にとって初耳のことであったと考えられる。
おそらく、エペソの港町であるミレト(使徒10章17節)まら、コリントの港町ケンクレア(使徒18章18節)まで、船便で直行するのが近道であるし、そのルートで来るものだとコリント信徒たちが思い込んでいると考えてのルート宣言であったとも思われる。海路が当時9月14日から危険であると判断され(使徒27章9節)、11月14日から翌3月5日までは海路が閉鎖された(使徒27章12節)ことから、もしかすればコリント行きが晩秋頃になる可能性を考慮しての、マケドニア経由での陸路計画であったのかもしれない。
このような報せによって、なんとなくパウロがコリントへ行くつもりでもいる「らしい」という、4章19節の記述から、より具体的に、「秋を越えてからであっても、必ずコリント教会へ訪問する」という計画を立てたパウロの堅い意志が明らかにされている。時期がいつになるかはさておき、パウロは必ず「来る」のである。
以上のような事情から、パウロが手紙を書いたのは既に過ぎ越しの祭りを過ぎた後であり、航路が再開した後の時期に書かれたことが判る。「コリントに来たいなら航路が再開したらすぐに来るに違いない。だからパウロはコリントに来るつもりが無いのだ」と、4章で言及されていた人々は高ぶっていたのである。しかし、パウロは晩秋過ぎてからでも陸路で必ず行くと、この高ぶりに対して牽制をかけたのである。
〇6節
「おそらく(ギ:プロス)」が用いられることによって、5節での訪問計画が、より具体的にコリント教会の信徒たちに明かされる。「滞在します(ギ:パラメノウ)」は、前節の「マケドニアを通って(ギ:ディエルソウ・マケドニオン)」の記述と合わせて、パウロがコリント教会へやってくることが旅の目的であることを宣言している。
通過すると言っている以上、マケドニアの教会はあくまで「ついで」であり、その旅の目的は、あくまでコリント教会への訪問と、滞在なのである。
また、この滞在がパウロにとっていかに重要なことであるかについては、「冬を越すことになるかもしれない(ギ:エ・カイ・パラケイマソウ)」という言葉からも明確である。多忙なパウロが、一冬を費やしてでもコリント教会に滞在することに価値を見出しているのである。
「送り出してもらう(ギ:プロペムフェテ)」は、コリント教会によって、次の旅に必要なものを整えてもらう為という意味がある。「あなたがた(ギ:ヒメイス)」と、「私(ギ:メ)」が特に強調されていて、コリント教会の人々から、必要なものを受け取って出かけていくということに重要性があるともパウロは言っているようである。
〇7節
「主がお許しになるなら(ギ:エアン・ホ・キュリオス・エピトレフェ)」は、文字通り、成り行きの中でキリストの許可が降りるのであればという意味である。現代の私たちも良く用いる表現であるが、私たちがそう願っても、神の計画の内にそれが入っていないことも往々にあることを良くあらわすものである。パウロも、コリント訪問が実現するか、それとも実現しないのか、先を見通すことは出来なかった。
それ程までに、エペソで現在戦っている課題が、これからどのようになっていくか見通すことができなかったのである。
私たちの思いが主に承認されるか否かは、主キリストのみがご存じである。自分の計画と神の御心が食い違っていたとしても、私たちはそれに対して悪い思いを抱くべきではないし、例え決定事項として決まっている予定であったとしても、それが主の突然の介入によって別の出来事に変更される可能性を、私たちは常に胸に抱いておかなければならないのである。
全ては、人間中心ではなく、主中心であることを、私たちは弁えるべきである。
〇8〜9節
「実りの多い働きをもたらす(ギ:メガテ・カイ・エネルゲス)」は、大いなる結果をもたらす、などと訳すこともできる。これは、「門(ギ:スーラ)」を主語として修飾する言葉であり、かつ、この門が、「開かれている(ギ:アネオゲン)」、即ち完了形現在で「既に開かれ、今も開かれ続けている」という表現が用いられている。
伝道の為の大きな好機が、エペソで起こっており、現在でもなお継続中であることがこの表現からわかる。また、それに付随して、この手紙がエペソから書かれたということもここで良く解る。
その好機を逃がさない為の戦いが、少なくとも「五旬節(ギ:ペンテコステース)」までは続くだろうとパウロは予想している。その戦いは、「多くの抵抗(ギ:アンチケイメノイ・ポーロイ)」という、多くの抵抗者の存在によって起こっているようである。
この抵抗者についての例は、アルテミス女神の神殿細工人デメテリオによる暴動(使徒19章23-41節)などが挙げられる。
好機であるにも関わらず、障害が多いという状況は、普通ならばあまり起こらない事であろうが、クリスチャン生活の中では日常茶飯事のように起こることである。
良き行いが為される時、伝道が進むとき、教会が成長するとき、会堂建築などの大事業が行われるとき、それを阻止しようと働く力もより大きくなる。しかし、逆に言えば、阻止しようとする力が大きいからこそ、私たちは自身の進んでいる方向や、目の前の好機が主の御心であると知ることも出来るのである。
2.詳細なアウトライン着情報
〇コリント教会への訪問計画について
5a 私は、マケドニアを通った(後)、あなた方のところに行く(計画を立てています)。
5b マケドニアはただ通過するだけです(滞在する予定はありません)。
6a おそらく、(教会の諸問題の解決の為に)あなたがたのところに滞在するでしょう。
6b 冬も越すことになるかもしれません。
6c どこに向かうにしても、(問題が解決して安心した)あなたがたに(ねんごろに)送り出してもらうためです。
7a 私は今、旅のついでにあながたに会うようなことはしたくありません。
7b 主がお許しになるなら、あなたがたのところにしばらく滞在したいと願っています。
8 しかし、五旬節まではエペソに滞在します(し、そうせざるをえないでしょう)。
9a 実り多い働きをもたらす門が私の為に広くひらかれているのですが、
9b (その反面、いつものように)反対者も大勢いるからです。
着情報3.メッセージ
私たちは、イエス様に出会って救われると、神様の恵みによって永遠のいのちを与えられます。これによって神様の支配を受けて神の国の国民となるのですが、神の民となった私たちに、イエス様が求めることは何でしょうか。それは宣教です。私たちがイエス様と出会う為に、多くの人の助けを受けたように、今度は私たちが、新たにイエス様に出会う人の助けとならねばなりません。その為に私たちは、各々が神様の御計画の中に身を投じる必要があります。
神様は、最初の人アダムが罪に陥った際に、私たち全ての人を罪の滅びから救う為の計画を立てて下さいました。これが神様の立てられた救済の計画です。旧約聖書の歩みも、イエス様の誕生も、私たちが受ける罪の罰の身代わりとなって死なれた十字架の犠牲も、全ては、この御計画に沿ったことなのです。この御計画は、現代においても健在で、イエス様が再臨されて福音の約束が果たされるその日まで続きます。私たちが集う名古屋教会は勿論、各々の奉仕の道行き一つに至るまで、神様は全て御計画を立てて実行されておられるのです。私たちはこれに参加するよう求められるのですが、それに参加する際にとても大切なことがあります。それは、神様の御計画の特性を良く知ることです。これについて理解しないなら、宣教に携わるどころか、邪魔にすらなりかねません。だからこそ、今日の箇所から良く学ぶ必要があるのです。
神様のご計画の一つ目の特性は、その全貌が人には見えないことです。パウロは、コリント教会に留まって一冬かけて滞在する計画を伝える際、「主がお許しになるなら」と言う言葉を用いました。コリント教会は問題も多く、安心して皆が信仰生活を送る為に、直接現地へ出向いて指導を行うことは必須事項であると、パウロは考えていました。しかし、それでもパウロは訪問を決定事項とは伝えず、「主がお許しになるなら行きたいと願っている」と表現するにとどめました。この計画に変更が加わる可能性を捨てなかったのです。神様の御計画はその全貌が開示されている訳ではありません。だから、私たちが良かれと思って組んだ計画が、神様の計画と食い違ってしまうことも多々起こります。そうなった時、神様は私たちの計画を修正し、新しい道を開いてくださいます。だから、私たちは自分の思いに捕らわれず、自分のスケジュールや方針が何時でも覆りうることを当然の事として計算に入れて行動せねばならないのです。
二つ目の特性は、神様の御計画は、大きな成功へ向かえば向かうほど、大きな抵抗や妨害、不具合が襲ってくることです。パウロも、エペソで反対者が大勢いる故に、中々コリントに向かえない事情を伝えています。神様の御計画が進みそうになると、それに反対する霊が何とか妨害を行おうと干渉してくるので、進む方向が正しければ正しいほど、また的を得ていれば得ている程に、様々な問題が降りかかってくるのです。普通なら、困難や課題が多く見つかれば、計画の取り下げを含めて検討すべきでしょうが、クリスチャンは、妨害や困難が多く現れる程、進むべき方向が正しいのだという確信を得るのです。私たちがこの世ものではないため、主の勝利が近づく程に戦いも激しくなると、イエス様も教えられました(ヨハネ15:18-21)。
私たちは宣教に参画する上で、世の中ではなく、神の国の知識に従って行動しなければなりません。そうでなければ、私たちはこの世の常識に囚われて、神様のご計画も、御心も見失ってしまうことになるからです。それは、私たちが既にこの世ではなく、神の国の支配の中で生きていることの証左にもなります。私たちは、神の国の国民として、父なる神様が得たいと願われている収穫を勝ち取るに、神の国の特性を学ぶのです。神様の支配を受け入れた神の国の民として、私たちは神様の支配について、どれほど学び、蓄え、弁えられているでしょうか。
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