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主日礼拝説教(7月9日分)
聖書箇所:Tコリント人への手紙9章13〜18節

1.説教音声

2.CS教材着情報

子供用メッセージカード 聖書箇所(せいしょかしょ)「Tコリント9:1〜12」
中心聖句:『私(わたし)にどんな報(むく)いがあるのでしょう。それは、福音(ふくいん)を宣(の)べ伝(つた)えるときに無報酬(むほうしゅう)で福音(ふくいん)を提供(ていきょう)し、福音宣教(ふくいんせんきょう)によって得(え)る自分(じぶん)の権利(けんり)を用(もち)いない、ということです。』(Tコリント9:12) 7月2日(日)

今日のポイント!
※聖書(せいしょ)のむずかしいことばやわからないことは、おとうさんおかあさんではなく、日曜日に教会学校(きょうかいがっこう)で先生(せんせい)にききましょう。

1.神様(かみさま)のことを信(しん)じていると、たまに損(そん)をしてるとおもってしまうことがあります。

2.けれども、神様(かみさま)は、わたしたちが損(そん)するところを、全(すべ)てみておられます。

3.わたしたちが、神様(かみさま)のために、「自分(じぶん)の損(そん)を我慢(がまん)する」と決(き)めるとき、神様(かみさま)は、その気持(きも)ちをとても喜(よろこ)んで、受(う)けた損(そん)以上(いじょう)の恵(めぐ)みを与(あた)えてくださいます。

〇まとめ
 もし、わたしたちが、神様(かみさま)のことが好(す)きで、神様(かみさま)から褒(ほ)めてもらえることを嬉(うれ)しいと思(おも)えるなら、神様(かみさま)のために、何(なに)かを我慢(がまん)することもできるようになります。そうなることができるように、神様(かみさま)との交流(こうりゅう)をもっと深(ふか)めていきましょう。

☆考(かんが)えてみよう
 Q1.神様(かみさま)を信(しん)じていて、損(そん)をしていると思(おも)ったことがありますか? それはどんな時(とき)だったでしょうか。
 Q2.神様(かみさま)に褒(ほ)めてもらえるから、神様(かみさま)の為(ため)に損(そん)をするのは嫌(いや)じゃないと言(い)っている人(ひと)がいるとして、その人(ひと)のことを、理解(りかい)できますか?

☆やってみよう(チャレンジ)
 自分(じぶん)でできる、神様(かみさま)の喜(よろこ)ばれることを、日常(にちじょう)生活(せいかつ)のなかで、みつけてやってみよう。

着情報3.完全原稿

『チャンスという報酬』
聖書箇所:コリント人への手紙第一9章13〜18節
中心聖句:『私にどんな報いがあるのでしょう。それは、福音を宣べ伝えるときに無報酬で福音を提供し、福音宣教によって得る自分の権利を用いない、ということです。』(コリント人への手紙第一9章18節) 
 2023年7月9日(日)主日聖餐礼拝説教完全原稿

 パウロは、使徒でありながらコリント教会で、その特権を全く用いる事がありませんでした。それは、コリントの街や教会の現状を鑑みて、特権を返上することが最善であると判断したからです。誰が見ても損をしているようにしか見えないこの状況ですが、パウロは何故かそれを本気で喜こびながら、これが私の誇りであると宣言し、また自分にとっての報酬であるとも言い切りました。一体、パウロは、どのような価値観によってこれを語ったのでしょうか。

 まず大前提として使徒の特権は、神様が定められた正当な働き人の権利であって、それに預かることは悪いことではありません。当時の時代は、偶像に仕える異教の司祭ですら、神殿からの食事に預かり、献げものの分け前に預かっていたのですから、生ける神に仕える働き人、とりわけ使徒がこれに預かるのは当然でありました。しかし、時と場合によっては、これを返上したほうが良い状況も訪れます。パウロが、コリント伝道を行った時も正にそれで、彼が、教会から金銭を受け取ることで、大きなトラブルが発生する可能性が否めない状況が、そこにあったのです。イエス様の時代、ユダヤ教では「教師(ラビ)が、生徒から授業料を取るのは良くないこと」だと考える人が主流派でした。パウロもまた、元々はユダヤ教のラビでしたから、彼が教会から報酬を受けとっていることが知られれば、コリントの街のユダヤ人達から、「パウロは金目当てでキリスト教師に鞍替えした」と批判される可能性がありました。そうなれば教会に混乱が起こり、宣教どころではなくなってしまいます。それ故に、パウロとバルナバは、使徒の権利を返上して、金銭を受け取らず、自分で働いて稼ぐことを決断したのです。

 要するに、パウロが使徒の特権を用いなかったのは、「状況がそれを許さなかったから」なのですが、それは彼にとって、マイナスにしかならなかったはずです。だと言うのに、パウロ自身は、何故かこの損失を大いに喜んでおり、「この機会を取り上げられるぐらいなら死んだ方がマシだ」とすら宣言しています。これは一体、どういうことなのでしょうか。パウロは、浮世離れした聖人なので、苦難を喜べる強靭な精神をもっていたということなのでしょうか。そうではありません。パウロは、浮世離れした聖人ではなく、ただ「全てのキリストの弟子の中で、終わりの日に一番評価を受ける人になる」ことを、本気で目指しているだけの人でした。
彼は、ペテロや他の使徒、指導者達と比べても、一番神様から称賛される人になることを、それこそ競技選手のように、本気で追い求めていたのです。そのような彼にとって、「図らずも」福音宣教の為に自分の特権を返上し、損失を飲み込まなければならない状況は、神様の前に評価されて一番になる機会、即ち手柄を挙げる為の絶好の機会(チャンス)だったのです。

 私たちの信仰生活にも、イエス様の為に自分の損失を飲み込まねばならない機会は、しばしば訪れます。これは、普通なら唯の不運で悲しい出来事にしか見えないかもしれません。しかし、私たちが、この機会をイエス様の為に耐え忍んで受け入れる時、それに対して与えられる天からの評価は非常に大きなものとなり、その信仰に対する報いもまた大きいのです。私たちは、世の終わりにイエス様から褒めて頂く為に、日々の信仰生活を歩んでいます。もし、私たちもパウロのように、イエス様から「忠実なしもべよ、よくやった」と褒められたいと願うのならば、主の為の損失を「報酬」と呼ぶ彼の気持ちも、少しは理解できるのではないでしょうか。イエス様は常に、私たちが福音の為に何を献げているのかを見ておられ、それを喜んで評価し報いてくださいます。恐れずに、自身の全てをイエス様に献げ、お仕えして参りましょう。


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