『父のみもと』
聖書箇所:ヨハネの福音書14章1〜7節
中心聖句:『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。』(ヨハネの福音書14章6節) 2023年7月16日(日)主日礼拝説教完全原稿
この世界には、数学だとか、科学だとか、哲学的高みだとかの、多くの叡智が存在します。人間は知識を求める生き物です。私たちも多かれ少なかれ、興味のある方面の知識については、熱心に学ぼうとするのではないでしょうか。しかし、それらの知識は、実践されてこそ価値をはっきりするものです。天国に至る救いの知識も、実践してこそ、その力を発揮します。
今日読んだ聖書の箇所では、弟子達に対して、地上を去る日の近づいたイエス様が、再びこの世にやってこられること、即ち再臨の約束をなさっています。ここで弟子達に約束された後、いよいよイエス様は、私たちの罪の罰の身代わりに十字架に架かって死なれる道を歩まれるのですが、死んで終わるのではなく、十字架の上で死を遂げた後にも、この天地を創られた父なる神様がしっかりと御計画を用意しておられることを、イエス様は、弟子達に教えようとされたのです。その御計画こそがすなわち、イエス様の十字架の死と復活を通して、私たちが、父なる神様の御許、即ち永遠の命を得て過ごす新しい天地に到達するものでありました。
このように、神様の御計画によって、この世の終わりの日にイエス様が用意して下さる新しい私たちの住まい、俗に天国とか呼ばれる場所に到達する為には、明確な方法と手段があります。その方法とは、自分が罪びとであることを認め、悔い改め(回心し)て、イエス様と十字架の贖いを信じることです。そして、私たちが、父なる神様を見上げ、「その救いと約束を私に下さい」と口に出して言い表すならば、神様は誰であっても、罪の赦しと、永遠の命、新しい身体、神の子の身分という福音の約束を与えて、御自身の御許への道を開いて下さるのです。
そのように聞けば、私たちはこのような天国に行く為の「理屈」を、知識の一つとして覚えておこうと思うかもしれません。しかし、罪の赦しと福音の約束は、知っているだけでは、私たちに対して利益をもたらすものではありません。罪の赦しと福音の約束は、聞いて、信じ、覚えて、実践し、父なる神様の御許に「到達」して、初めて有益な情報となるのです。当たり前の事ですが、情報には知っているだけでなく、実践しなければ役に立たないものも多く存在します。例えば、コンサートがある事を知っていても、チケットを購入し、実際に現地へ足を運ばなければその情報が活かされることはありません。同じように、天国への行き方を知っているだけではだめなのです。実際に、これらの約束を信じて、それを頂こうと手を伸ばさなければ、罪から救われることも、父なる神様の御許に到達することもできないのです。
天の父なる神様は、私たち一人びとりに与えられている自由意思を大切にして下さる方なので、どのような良いものであっても、私たちに押し付けるようなことはなさいません。その代わりに、私たちがその気になって「欲しい」と言えば、それが得られるように誰でも通ることの出来る真理と、道と、命を用意して、天国に入ることが出来ようにしてくださっているのです。その道と、真理と、命こそが、救い主であるイエス様です。このイエス様御自身も、神の御子であり、罪の無い方であったにも関わらず、私たちが本来ならば受けるべきであった罪の罰を、全て身代わりに引き受けて、私たちが「天国に入りたい」と求めるならば、そこに入ることができるようにしてくださったのです。だからこそ、私たちは、天国への行き方だけを、知って満足するようではいけません。救いに手を伸ばして、握って離さないように行動し、やがて父なる神様の御許に到達しなければ、天国は私たちと何の関係もないものになってしまうからです。知るだけではなく、実践する決断をして、天国に入る者となっていきましょう。
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