『魂の獲得』
聖書箇所:コリント人への手紙第一9章19〜23節
中心聖句:『私は福音のためにあらゆることをしています。私も福音の恵みをともに受ける者となるためです。』(コリント人への手紙第一9章23節) 2023年7月.23日(日)主日礼拝説教完全原稿
私たちにとって、最も大切な事は、イエス様から称賛を受ける者となることです。その為に、パウロは自分の権利や利益を投げうってでも、自分の建てるべき手柄を追い求めて行動し続けました。それはパウロが、何をもって主から称賛されるかを十分に弁えていたからです。イエス様から忠実なしもべとして称賛される為に、私たちは何をすれば良いのでしょうか。
イエス様が私たちに求める働きは非常に明確です。それは、「魂を獲得する」ことです。イエス様は、天に昇られる際、「あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい」と、自らの弟子たちに対して命じられました(マタイ28章19〜20節)。所謂、この大宣教命令を受けて、パウロを含め、全てのキリストの弟子たちは、これを忠実に守り、自らの命すらも投げうって、魂の獲得に努めたのです。パウロも、勿論その為に粉骨砕身労しました。ユダヤ人だけではない、ありとあらゆる人々が救われるように、全ての人々の「しもべ」として福音を宣べ伝えることで、魂を獲得しようとしたのです。
魂の獲得の為にパウロは具体的に何をしたのでしょうか。彼は、ユダヤ人や、律法に従う人に対しては、その方法を尊重し、そうでない人に対しては、外国の文化に合わせて福音を宣べ伝えました。自分自身の主義主張を全て返上し、相手に合わせ、罪を犯さないぎりぎりまで譲歩して伝道を行ったのです。肉を食べる権利があるとか、ないとかで騒いでいるコリント信徒の人々に比べ、パウロは徹底的に自身を殺して献身しました。それもこれも、全てはパウロ自身が語っている通り、新しく獲得した魂と共に、イエス様から福音の恵みを受ける為でした。
しかし、その一方で、パウロは「弱い人たち」に対しても、しもべのようになって仕えました。この人々は、「ユダヤ人」や「律法の下にある人」、「律法を持たない人」のような、未信者の人々ではなく、既に信じて教会の中にいる人たちです。その人々に対してもパウロは、新しい魂を獲得するのと、同じぐらいの熱量で寄り添い、彼らの信仰が失われないように努めたのです。何故パウロは、全ての力を新しい魂の獲得に費やさず、牧会的働きに対して労力を割いたのでしょうか。パウロの言う「獲得(ギ:ケルデソウ)」という言葉は、新規に獲得するという意味以外に、損失を回避するという意味も持つ言葉です。その言葉の意味のごとく、魂はたとえ一時獲得しても、簡単に失われてしまうものなのです。例え福音を聞いて信じ、洗礼を受けたとしても、この世の終わりの日に、父なる神様の御許に到達できないのであれば、その魂は「獲得された」ことにはなりません。それを知っているからこそ、パウロは、獲得した魂を一つも取りこぼさないように、弱い人々に寄り添うことにも全力であったのです。
私たちは、宣教し、新規来会者と受洗者を得ることだけが、「魂の獲得」であると、しばしば勘違いしてしまうように思います。しかし実際には、兄姉を励まし、慰めながら、自分よりも信仰の弱い人々が、福音の内に留まることが出来るように労することも、立派な「魂の獲得」なのです。受洗に関わる働きをしていなければ、その人は称賛されないのでしょうか。そんなことはありません。魂を失わずに主の御許に到達した時、損失を防いだ兄姉は、イエス様から喜んで、「忠実なしもべよ、よくやった」と称賛の声を与えて頂けるのです。新規来会者と受洗者を増やす事だけが、イエス様の求められる働きではありません。互いに励まし合いながら、獲得された魂を取りこぼさずに、共に父なる神様の御前に到達しようではありませんか。
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