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主日礼拝説教(7月30日分)
聖書箇所:Tコリント人への手紙9章24〜27節

1.説教音声

2.CS教材着情報

子供用メッセージカード 聖書箇所(せいしょかしょ)「Tコリント9:19〜23」
中心聖句:『ですから、あなたがたも賞(しょう)を得(え)られるように走(はし)りなさい。』(Tコリント9:23) 7月30日(日)

今日のポイント!
※聖書(せいしょ)のむずかしいことばやわからないことは、おとうさんおかあさんではなく、日曜日に教会学校(きょうかいがっこう)で先生(せんせい)にききましょう。

1.わたしたちは、神様(かみさま)から与(あた)えられた仕事(しごと)を、一生懸命(いっしょうけんめい)やらなければなりません。

2.永遠(えいえん)のいのちはもう貰(もら)えるんだから働(はたら)きたくないよ、神様(かみさま)に褒(ほ)めて貰(もら)わなくてもいいよ、と考(かんが)えるのは、救(すく)われたクリスチャンにふさわしい考(かんが)え方(かた)ではありません。

3.何故(なぜ)なら、罪(つみ)から救(すく)われた人(ひと)は、自分中心(じぶんちゅうしん)ではなく、神様中心(かみさまちゅうしん)に、考(かんが)えて生(い)きていくことを、自分(じぶん)で選(えら)んで決(き)めたからです。

4.熱心(ねっしん)に仕事(しごと)に取(と)り組(く)まず、罪(つみ)を避(さ)けようともしないひとは、やがて、自分(じぶん)で永遠(えいえん)のいのちを、捨(す)ててしまうようになります。

〇まとめ
 わたしたちは、イエス様(さま)によって救(すく)われた神様(かみさま)の子(こ)どもです。だから、神様(かみさま)を喜(よろこ)ばせるために、一生懸命(いっしょうけんめい)、神様(かみさま)のために働(はたら)かなければならないのです。

☆考(かんが)えてみよう
 Q.自分(じぶん)でなろうと決(き)めてなった職業(しょくぎょう)で、仕事(しごと)をさぼる人(ひと)をどう思(おも)いますか。 また、そのような人(ひと)は、その仕事(しごと)を辞(や)めずに長続(ながつづ)きするでしょうか。

☆やってみよう(チャレンジ)
 神様中心(かみさまちゅうしん)と、自分中心(じぶんちゅうしん)ってどう違(ちが)うのか、よく考(かんが)えてみよう。

着情報3.完全原稿

『神の賞を受ける』
聖書箇所:コリント人への手紙第一9章24〜27節
中心聖句:『ですから、あなたがたも賞を得られるように走りなさい。』(コリント人への手紙第一9章24節)
 2023年7月30日(日)主日礼拝説教完全原稿

 9章の終わりになって、パウロは、各々が与えられた仕事に対し、神様からの賞を得られるぐらいに真剣に取り組むことが必要であることを語ろうとします。その為に、賞を目指して厳しい節制の生活を送るスポーツ選手のように、私たちも罪から遠ざかる生活を心掛けないといけないことを、パウロはコリント信徒の人々に伝えようとするのです。

 オリンピックを始めとして、2000年前の当時の時代から、ギリシャ地方では数多くの大会が開かれていました。コリントの街でも、三年に一度競技会が開かれており、そこで賞を取る事は、町の住民にとってとても名誉な事でした。競技に参加しようとする人は、競技の一年前から訓練期間に入り、辛い鍛錬を経て、一か月前の参加検定キャンプに臨みます。そこで様々な検定を受けて見事に合格した犯罪歴の無いギリシャ人だけが、競技大会に参加する事が許されたのです。しかし、そのような労苦に耐えて参加しても、賞をとって、松の冠を手に出来る選手はたった一人です。それ故に選手は皆、出場するからには一番を本気で勝ち取る為に、真剣に訓練に挑んだのです。私たちも同じように、罪の赦しと、永遠の命を受ける為に、洗礼を受けて救われたからには、全力で自らの仕事に取り組む必要があります。何故なら、十字架の血潮を対価に買い取られ、イエス様中心、神様中心に生きることを、私たちが自分で選び取ったからです。「神からの賞賛など必要ない。救いだけ貰えればそれで充分」と考えることは、自分中心な考え方であり、神様中心の、神の国の価値観には相応しくありません。私たちは、自分自身ではなく、神様中心に物を考えなければならないのです。「どうせ給料は同じだから」と仕事を不当にさぼる社員に対し、雇い主の会社はどのような処分が下すしょうか。同じように私たちも、神様の支配に入ったからには、誠心誠意己の職務を全うする必要があるのです。

 そこまで語ってから、パウロは、自分自身もまた、一人の競技者として賞を目指し走っていることをコリント信徒の人々に告げます。パウロは、決して自分を「特別枠」だとは考えていませんでした。人々に教える教師、牧師、役員だからといって、無条件に賞を受ける事が出来る人など誰も居ません。むしろ、そのような油断から、重要な地位にある人々の方が救いを取り逃してしまうこともあり得るのです。事実、イエス様を救い主と信じて救われた人々は、ユダヤ教の教師達や律法学者よりも、一般の人々の方が圧倒的に多かったのです。パウロも自身も、「宣べ伝えておきながら(ギ:ケーリュクス)」と言う言葉を用いて、その危惧を口にします。ケーリュクスとは、競技会でルール説明をする為に、選手を呼び集める呼びかけ人の事を指します。ギリシャ競技では、この呼びかけ人(ケーリュクス)も、仕事を終えた後に、競技に一選手として参加する事がありました。ローマのネロ皇帝も、この呼びかけ人を務めた後、戦車競技で優勝したという記録が残っています。しかし、選手を呼び集めてルールを説明し、その上で競技にに参加するからには、呼びかけ人には無様な負けは許されません。もし、「失格者」にでもなろうものなら、受ける嘲笑は他の幾倍にも及び、その恥はとても大きいのです。

 少し油断すれば、誰でもそうなりかねないと、パウロはコリント信徒の人々に警告します。罪に対し鈍感であり続けるならば、私たちは思わぬところで躓いて、自ら永遠の命を投げ捨てる結果を招いてしまうのです。パウロはそうならない為に、自らの肉体を打ち叩くとさえ言いました。罪に安全圏は無いのです。しかし感謝な事に、注意深く罪を避けて祈って歩むならば、他でもない神様御自身が、危険な道から私たちを遠ざけて下さいます。だから恐れずに良く祈って、終わりの時に賞を得られるよう、懸命に自分自身の人生を走り続けていきましょう。





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