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主日礼拝説教(9月10日分)
聖書箇所:Tコリント人への手紙10章14〜22節

1.説教音声

2.CS教材着情報

子供用メッセージカード 聖書箇所(せいしょかしょ)「Tコリント10:14〜22」
中心聖句:『主(しゅ)の食卓(しょくたく)にあずかりながら、悪霊(あくれい)の食卓(しょくたく)にあずかることはできません。』(Tコリント10:21) 9月10日(日)

今日のポイント!
※聖書(せいしょ)のむずかしいことばやわからないことは、おとうさんおかあさんではなく、日曜日に教会学校(きょうかいがっこう)で先生(せんせい)にききましょう。

1.わたしたちは、神社(じんじゃ)に立(た)ち寄(よ)ったり、宗教的(しゅうきょうてき)な食べ物(たべもの)を食(た)べたからといって、何(なに)かけがれたりするわけではありません。

2.けれども、1のことを、喜(よろこ)んでおこなった場合(ばあい)、わたしたちは、偶像礼拝(ぐうぞうれいはい)をしていることになってしまいます。

3.神様(かみさま)が悲(かな)しまれることを知(し)っているのに、自分(じぶん)の楽(たの)しみのために、それをしてしまうからです。

4.神様(かみさま)が悲(かな)しまれることを、自分(じぶん)の楽(たの)しみのためにおこなうとき、私(わたしたち)は、いつも自分(じぶん)を神様(かみさま)にして、偶像礼拝(ぐうぞうれいはい)をおこなってしまっているのです。

〇まとめ
 わたしたちは、いつでも、神様(かみさま)が、喜(よろこ)ばれるか、悲(かな)しまれるかを基準(きじゅん)に、自分(じぶん)のやることを決(き)めなければなりません。神様(かみさま)が悲(かな)しまれるようなことには、やむをえない場合(ばあい)以外(いがい)、なるべく近(ちか)づかないようにしましょう。

☆考(かんが)えてみよう
 Q.神社(じんじゃ)のお祭(まつ)りにでかけることは、偶像礼拝(ぐうぞう)でしょうか?
 Q.わたしたちが神社(じんじゃ)のお祭(まつ)りへ喜(よろこ)んででかけていくのを見(み)た時(とき)、神様(かみさま)がどのように思(おも)われるか、想像(そうぞう)して、考(かんが)えてみましょう。

☆やってみよう(チャレンジ)
 神様(かみさま)に喜(よろこ)ばれることが何(なに)か、考(かんが)えてみましょう。

着情報3.完全原稿

『悪霊の食卓』
聖書箇所:コリント人への手紙第一10章14〜22節
中心聖句:『あなたがたは、主の杯を飲みながら、悪霊の杯を飲むことはできません。主の食卓にあずかりながら、悪霊の食卓にあずかることはできません。』(コリント人への手紙第一10章21節)  
 2023年9月10日(日)主日礼拝説教完全原稿

 10章も後半に入り、パウロはいよいよ「偶像に献げた肉」関連の問題について、核心部分を語ります。偶像への供え物を食べたところで問題なく、また、偶像の宮で食事をしても問題が無いと語っておきながら、何故、そこへ参加することが「悪霊の食卓」で悪霊と交わることになってしまうのか、パウロは賢く判断するようにと、コリント信徒へと迫るのです。

 15節からパウロは、自身を「賢い」と考えて居るコリント教会の人々に対して、「賢い人に話す」と宣言し、大切な奥義を語り始めます。「私の言うことを判断してください」とは、非常に挑発的で皮肉な言い方であるように聞こえますが、実際、この話題は、本当に良くかみ砕いて賢く理解する必要のある「堅い食物」、即ち難しい奥義の話題なのです (3章1〜2節)。
 パウロはまず、クリスチャンの受ける聖餐式と、ユダヤ人(即ちアブラハムの子孫、肉によるイスラエル)が、律法の規定によって捧げる「交わりの供え物(レビ記7章11〜18節)」の二つの儀式を取り上げ、これらはどちらも、天地を創造された父なる神様と交わり、一つになる為の食卓であることを確認します。そして、それと同じように、偶像の神の名前を冠して行われる食事もまた、悪霊と交わる為の食卓、即ち儀式であると定義づけるのです。当時のギリシャでは、例えば「月の女神アルテミス神の食卓」などと題して、宗教的な晩餐会を行い、神殿や自宅へ親しい人を招き、社交することが一般的でありました。現代の名古屋でも、太閤秀吉祭りなど、神社仏閣の「御神体」に纏わるイベントは脈々と行われています。これらに参加することへの葛藤(即ち縁日に出かける事が罪に繋がるか等の悩み)は私たちを苦しめますが、この事について考える基準を、パウロはコリント教会の人々に知らせようとしているのです。

 まずパウロは、偶像に関わった食物や、偶像の名前による食事会に参加するという事実そのものには、何の意味も無いことを確認しています(8章8節、10節)。その一方で、偶像の宮で積極的に食事をし、帰ってくる人々について、彼らは悪霊の食卓に参加し、天地を創られた父なる神様を妬ませていると、戒めてもいます。一見矛盾するように見えるこの言い分ですが、一体何をもって罪であると、パウロは線引いているのでしょうか。それは、自ら進んで、即ち喜んでそこに参加しているかどうかで決まります。社会的な立場上、止むを得なくそこに立ち会わなければならない場合と、自ら喜んでそこに参加する場合とでは、神様の御前で全く意味合いが異なってくるのです。私たちが、偶像との交わりを楽しみにし、積極的にそこへ出かけていく時、神様は悲しまれないでしょうか。それを判っていて尚、そこへ出かけていくというならば、私たちはキリストの交わりを裏切って、悪霊の交わりに参加していることになるのです。私たちは自分の決断と意志によって、神様からその責任を問われることになります。

 私たちは、キリストの交わりに入り、神の霊を受けたのですから、天の父なる神様が何を好まれ、何を厭われるかを、聖霊様を通して知ることが出来る素晴らしい恵みに預かっているのです。それにも関わらず、私たちが自分の楽しみの為に、神様の厭われることを行い続けているならば、それは最早神様ではなく、自分を中心に行動していることにならないでしょうか。このように私たちは、いとも簡単に、神様を退けて自分中心の楽しみを優先し、自分を神に祭り上げる偶像礼拝を行なってしまうのです。ここに人間の罪があります。私たちは、キリストの心が与えられ、神の霊を受けているのですから、神様を妬ませるようなことを行ってはなりません。そのことを十分に弁えて、悪霊ではなく、神様の食卓の中で生活していきましょう。




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