『神の栄光の為に』
聖書箇所:Tコリント人への手紙10章27〜33節
中心聖句:『こういうわけで、あなたがたは、食べるにも飲むにも、何をするにも、すべて神の栄光を現すためにしなさい。』(Tコリント人への手紙10章31節) 2023年10月8日(日)主日礼拝説教要旨
私たちクリスチャンが、いつでも迷いなく行動することが出来るように、パウロは偶像の肉の問題を取り扱う事によって二つの行動原則を示しました。それは、他の人の利益、即ち他の人の救いの為に行動すること、そして、自分自身も躓かない為に、与えられる恵みを詮索せず、感謝して受け取ることという原則です。パウロは、この行動原則を教えた後、27節から、これらの原則が、「全ては神の栄光が現れる為」という基本理念に基づいていることを語ります。
基本理念はとても大切なものです。どのような原則に基づいて行動していても、その理念を理解せずに行っているならば、それらの行動の全ては形骸化してしまいます。旧約聖書に書かれた神様の律法も、それを受け取ったユダヤ人達が、「神を愛し、隣人を愛する」為に定められていると言う律法の基本理念をまるで理解していなかった為、形だけ決まりを守っていればそれでいいと考えて形骸化させてしまい、後に来られた子なる神であるイエス様を、大いに呆れさせることになってしまいました。私達クリスチャンも同じです。「神の栄光が現れる為」と言う大切な理念を見失ってしまえば、決して正しく行動することは出来ないのです。
例えば、良い関係を持つ未信者の知り合いから、異教の風習に基づいた食事に誘われたとします。その誘いに対し、私たちが「億劫だ」と思い、他のクリスチャンの目を恐れて、「行きたくない」とも思ったとします。その時、原則を形だけ守っているような人ならば、丁重に断って相手を躓かせなければそれで良いと考えることでしょう。しかし、これらは「神の栄光が現れる為」に判断するべきことです。未信者の友人が救われることは、確実に神様の御心なのですから、私たちは神様の栄光が現れる為に、喜んで行こうと思わなければならないのです。
出かけて行った先で、出された料理を詮索せずに食べる事も、全ては「神様の栄光が現れる為」に行われることです。善意でもてなそうとしてくれている好意を喜んで受け取り、未信者の人に「クリスチャンとの交わりが豊かなものである」ことを体験してもらうことは、神様の御心に適う、その栄光が現れる為の行いになるからです。28節でパウロが言っていることについても、臨席した誰かが、私たちの信仰を気遣って「これは別の宗教の儀式に用いた肉である」と教えてくれた場合、神様の栄光が現れる為に、私たちはそれを食べないという決断を行います。彼らの善意に感謝し、忠告に従って、その肉を食べないで置くならば、彼らを躓かせる結果にはならないからです。丁寧に説明すれば、食べても問題ないのかもしれませんが、人間の心の中を見通すことなど私たちには出来ないのですから、相手を躓かせ、神様の栄光が万が一でも汚されないように、肉を食べないと言う確実な決断を、私たちは行うべきなのです。
このように、私たちは、いつも神様の栄光が現れる事を求めて、私たちに関わる他の人々が一人でも多く救われる為に行動します。また、自らも躓かないように、神様の恵みを受け取りながら、神様と共に活き活きと過ごす道を選択し続けるのです。この理念をよく理解し、与えられた行動の原則に従って生きている限り、神様は私たちに大きな恵みを与え、他の人に分け与えても尚余りある、素晴らしい毎日を過ごさせてくださいます。私たちが救いを堅く保って、この世の終わりの時にイエス様にお会いすることもまた、神様の栄光が現れる行動だからです。パウロはそれを十分に理解した上で、人間の目を恐れて自分の利益を求めず、神様の栄光だけを求めて、常に他の人の救いの為に身を粉にして働き続けました。私たちはどうでしょうか。神様の栄光が現れる為に、喜んで他の人が救われるように、日々お仕えしましょう。
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