『神の国の価値観』
聖書箇所:るかの福音書19章1〜10節
中心聖句:『今日、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。』(ルカの福音書19章9節) 2023年10月15日(日)主日伝道礼拝説教要旨
私たちは、人生の折々で、自分の価値観がまるで変ってしまう出会いをすることがあります。それによって少し物の見方が変わるだけで、状況は変わらずとも、問題が解決することもしばしばです。私たちの人生で、出会いはとても重要です。その中でも、特に私たちの人生を大きく変える出会いが、救い主であるイエス様と、神の国の価値観との出会いなのです。
今日登場するザアカイは、ユダヤを支配するローマ帝国に委託されて、税金を集める人々の頭領でありました。わざわざ「背が低い」と書かれるほどに背の低かった人で、恐らくそれが原因なのか、周囲から抜きんでること、承認されることにとても飢えた人だったようです。承認欲求が満たされない不満は、とても強い渇望となります。時に、承認されることが人生の目的そのものになったり、違法行為でも構わないから人の注目を集めたいと考える者が出たりする程に、その渇望は大きなものなのです。ザアカイも、その渇望を満たす為に、「金銭を集める」ことにこだわっていたようです。手段を選ばず金銭を集める彼の徹底ぶりは、周囲から「罪びと」や「裏切り者」と罵られてまで、大金を手にすることの出来る取税人の、しかも最も非難を集める頭領の地位に、あえてついていたことからも分かります。同胞からどれほど罵らても、彼は金銭を集め続けました。それによって、承認され、幸せになりたかったからです。
しかし、大金を手に入れても、彼の心に幸福は訪れませんでした。財産惜しさに救いに入り損ねる青年がいる一方で(マタイ19章22節)、ザアカイは、後にあっさりと自分の財産を手放してしまいます。彼は金銭が自分を幸せにしないことを薄々知っていたのです。彼に必要なものは、心を満たす承認と幸福でした。だからザアカイは、「救い主イエス様」に強い関心を示しました。彼は飢え乾く人でしたから、イエス様を一目見る為に、悪目立ちして罵られることも恐れませんでした。木登りをしてまでその方を見ようとしたのです。当然、そのような彼の渇望を、天地を創られた父なる神様はご存じでありました。イエス様は通りがかると、木の上のザアカイに親しく語り掛けられ、初対面なのに名前を呼び、彼の家の客人になると「決めている」と言われました。この時、ザアカイは、それまで培ってきた価値観の全てが、全く新しくされる出会いを体験をしたのです。ザアカイは、この世界には天地を創造し、統べ治められる神様が本当におられ、この方が自分のことを気にかけ、承認し、親しく名前を呼んでくださることを知りました。彼はその時、自身を承認してくださるこの神様と共に生きることこそ、自分が幸福に過ごす道であることを悟り、生き方を全く新しくすることを決断したのです。
ザアカイは、財産を貧しい人に施し、騙した人には四倍にして金銭を返却することを宣言しました。これから共に生きていくと決めた天の父なる神様が、それを喜ばれると確信したからです。ザアカイは、自分の人生の中に神様を受け入れ、その関係の中で生きることを決断しました。神様と出会い、神様と過ごし、神様が居られることを自分の人生の中に受け入れ、それを前提に生きていく。これが、神の国の価値観に生きることなのです。天の父なる神様は、そのことに気づいた私たちが、すぐにでも共に歩み始めることが出来るように、大切な独り子であるイエス様を、私たちの罪の罰の身代わりに、十字架に掛けて死なせて下さいました。私たちは、その犠牲によって贖われたので、それまでどのような人生を歩んできたのだとしても、悔い改めて決断し、イエス様の救いを信じたその日から、天の父なる神様との関係の中で、いきいきとした人生を過ごすことが出来るようにしていただけるのです。だから私たちも、恐れずにイエス様を信じて、神の国の価値観の中で、幸福に過ごす者となろうではありませんか。
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