『少年の信仰』
聖書箇所:ヨハネの福音書6章1〜15節
中心聖句:『ここに、大麦のパン五つと、魚二匹を持っている少年がいます。でも、こんなに大勢の人々では、それが何になるでしょう。』(ヨハネの福音書6章9節) 2023年11月12日(日)子供祝福礼拝説教要旨
子供祝福式の日がやってきました。今年も子供たちが健やかに成長していることを、主に在って心より感謝したいと思います。何かにつけて、社会の中では一人前として扱ってもらえない子供ではありますが、こと信仰の世界では、子供たちは大人に先んじる存在として扱われています。イエス様も、「神の国はこのような者たちのものなのです。まことに、あなたがたに言います。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入る事は出来ません」 (マルコ福音書10章14〜15節)と言われた程です。子供たちの純粋な信仰は神様とイエス様に喜んで受け入れられています。大人も、子供も、今一度、この「子どものように神の国を受け入れる」ことが、どのようなことであるかを良く知っておくべきです。
今日開いた箇所は、「五千人の給食」と呼ばれる有名な箇所です。男性だけで五千人、女性や子供を含めれば全体で一万人以上居た人々に、イエス様がパンを割いて食事を与えたという有名な奇跡の話です。しかし、割かれた五つのパンを差し出したのは一人の少年であったことを、ヨハネの福音書だけが記録しています。この少年を連れてきたのは、十二弟子のアンデレですが、9節の口ぶりからすると、彼自身も五つのパンと二匹の魚程度では、何の役にも立たないと思っていたようでした。けれども、イエス様のところへパンと魚をもってきた少年は、イエス様なら何とかしてくださるはずだと信じて、自分の食べ物をすべて捧げました。ここに、私たちが学ぶべき、「子どものように神の国を受け入れる」信仰が現わされています。
幼い子供は、保護者や大人の力を堅く信頼します。「保護者は何でも出来るし、自分のことを守ってくれる」と固く信じているので、幼い子供はそれを前提に、安心して日々を過ごせるのです。子供は、「自分には無理でも、大人ならなんとかできるはず」と根拠も無く信じて、困ったことがあれば親や大人に相談します。大抵、一番ひどい状態になってから相談しに来るのが悩みどころですが、そんな状態だからこそ、一縷の望みをかけて、大人を頼るのです。しかし、段々成長し、知識が増え始めると、元子供は大人を信頼しなくなります。自分の僅かな知識に照らし合わせて、「大人程度の力では、これは無理だ」と、勝手に決めつけて大人を侮るからです。それは信仰についても同じです。「神様は弱い」とか、「大した力が無い」だとか、自分の僅かな知識に照らし合わせて、決めつけて侮り、神様に出来ることと、出来ないことを勝手に仕分けて、頼ろうとしない「大人」になっていきます。イエス様の身の回りにいる十二弟子ですら、イエス様の力を信頼出来ませんでした。ここに大人になる人間の罪があります。
この少年とて、パン五つでは、自分では何も出来ないことぐらい解っていたと思います。しかし、「イエス様なら何とか出来る筈」だと信じて、この少年だけがイエス様の前に、自分のパンを差し出したのです。イエス様は、その信仰が正しいことを証明するかのように、五千人の給食という大きな御業を起こされました。神様の御業は、私たちが信じる為にではなく、信じたことが正しいことを証明する為に引き起こされるのです。「子どものように神の国を受け入れる」とは、自分の常識で判断せず、神様の力を現実のものとして受け入れ、信頼し、委ねる信仰なのです。私たちは、天の父なる神様が、この世の全てを統べ治められていることを、本当に信じているでしょうか。神様が、自らの大切な独り子を私たちの罪の罰の身代わりに死なせて下さったことを、本当に信じているでしょうか。自分勝手に、神様の出来ることと、出来ないことを決めつけて、侮ってはなりません。子供の信仰に今一度立ち返って、神様の力を心から信じましょう。この少年のように、神様に対して全幅の信頼をおいて行動しましょう。
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