『神と共に生きる』
聖書箇所:伝道者の書11章1〜10節
中心聖句:『あなたは、自分の思う道を、また自分の目の見るとおりに歩め。しかし、神がこれらすべてのことにおいて、あなたをさばきに連れて行くことを知っておけ。』(伝道者の書11章9節) 2023年11月19日(日)伝道礼拝説教
ガザ地区の戦乱や、ウクライナの戦争など、今年は戦争の噂や暗い話題に事欠かない年末となっています。日本国内に於いても、物価高等で私たちの生活は常に脅かされている状態です。私たちの周囲は、常に環境的な苦しみで満たされいます。私たちはそれについて選択することが出来ません。そのような中で、私たちはどのように人生を歩むべきなのでしょうか。
本日開いた伝道者の書は、ソロモン王が書いたものとして言い伝えられています。どのような生き方をするのが賢いのか、また、何を目指して生きるのが真理であるのかを追究しようとした伝道者(ソロモン王)は、権力、財力、性欲、商売、信頼、その他諸々、多くの物を追い求めた後、11章から一つの結論を語り始めます。それは、「私たちは自身の環境を選択する事が出来ない」というものでした。当たり前ながら、私たちは誰も自分の環境を選択することが出来ませんし、思い通りにそれを変更することもできません。「親ガチャ」という言葉が流行っている通り、出自や実家の身分、経済力、住んでいる土地、出会う恋人や結婚相手まで、私たちは何一つ自分の思い通りにすることが出来ないのです。しかも、明日にはどのように環境が変化するかすらも、私たちには判りません。それ故、人生で何を行うのが最善なのかすら、私たちは誰も知る事が出来ないのです。最善だけを追い求めることは、人間には出来ません。
しかし、私たちは、周りの環境を思い通りに出来ない一方で、その中でどう行動するか選択出来る自由があると伝道者は言います。明日がどうなるか判らないからこそ、私たちは、目の前のことについて、出来ることは何でもやっておくという決断を行うことが出来ますし、例え困難があっても、自らのやるべきことを実行に移すこともできるのです。与えられる環境や、出会う人々を変えることは出来ませんが、それを受け入れたり、拒絶したりしながら、決断し続ける時、私たちは自分に与えられた人生を楽しむことが出来るようになるのです。
ところで、そのような中で、私たちがどうしても決断する必要がある事柄をご存じでしょうか。それが神様という存在との関係についてです。どのように否定しても、この世界を創造された神様は確かに存在され、私たちとの関係を求めておられると聖書には書かれています。このような方が存在する以上、私たちは、その付き合い方について自分なりに決断しなければならないのです。神様を受け入れ、一緒に生きていくことも出来ますし、その存在を否定して背を向けて生きることもできます。それは、私たちに、自分の人生を好きなように生きる「自由意思」の権利が与えられているからなのですが、同時に私たちは、この世界に生まれた以上、自分の行動の善し悪しが全て、終わりの日に神様によって判定され、その責任が問われるということも覚えて置かなければなりません。生まれてから一度でも罪を犯したならば、私たちは、永遠の炎の中に投げ入れられると、聖書にははっきり書かれています。
しかし、神様は、私たちを愛しておられ、滅ぶのを良しは思われませんでした。その為に、大切な独り子であるイエス様を十字架にかけ、死なせてくださり、私たちの罪の罰の身代わりとして下さったのです。だから、私たちが決断し、自分が罪びとであることを認め、回心して、このイエス様を受け入れ、神様と共に歩みたいと望み求めるならば、私たちの罪はたちまちに全てが赦され、永遠のいのちが与えられ、神様と共に永遠に生きる者として頂けるのです。
神様を信じて受け入れ、共に永遠に生きるか、それとも背を向けて自分の行動に責任を負って滅びるかは、私たちの決断次第です。決断しなければ、待っているのは滅びです。選ばないことは出来ません。願わくば決断して神様と共に歩み、永遠に生きる者とされましょう。
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