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主日礼拝説教(12月17日分)
聖書箇所:ルカの福音書2章25〜38節

1.説教音声

2.CS教材着情報

子供用メッセージカード 聖書箇所(せいしょかしょ)「ルカ2:25〜38」
中心聖句:『私(わたし)の目(め)があなたの御救い(みすくい)を見(み)たからです。』(ルカ2:30) 12月(がつ)17日(にち)(日(にちようび))

今日のポイント!
※聖書(せいしょ)のむずかしいことばやわからないことは、おとうさんおかあさんではなく、日曜日に教会学校(きょうかいがっこう)で先生(せんせい)にききましょう。

1.わたしたちは、生(う)まれてきた以上(いじょう)、いつかはかならず死(し)ななければなりません。だから、どのように生(い)きて、どのように死(し)ぬかをかんがえることは、とても大切(たいせつ)です。

2.けれども、わたしたちは、辛(つらい)ことや、悲(かな)しいことがあると、なにかのはずみに生(い)きるのがいやになってしまいます。

3.シメオンやアンナは、生(い)きるのが嫌(いや)になるような状態(じょうたい)になっても、生(い)きることに向(む)き合(あ)いつづけました。神様(かみさま)は、そのような二人(ふたり)を、生(う)まれたイエス様(さま)に会(あ)わせて、一生懸命(いっしょうけんめい)生(い)きた二人(ふたり)の人生(じんせい)にむくいられました。

〇まとめ
 永遠(えいえん)の命(いのち)をもらっても、滅(ほろ)びることになっても、わたしたちが消(き)えてしまうことはありません。たとえ死(し)んでしまっても、死(し)んでいる時間(じかん)は永遠(えいえん)ではありません。だから、わたしたちは、生(い)きることをやめることはできません。神様(かみさま)は、わたしたちが真剣(しんけん)に生(い)きることを喜(よろこ)ばれます。つらいこともおおいですが、生(い)きることをあきらめずに、神様(かみさま)のそばで過(す)ごしましょう。

☆考(かんが)えてみよう
 Q.真剣(しんけん)に生(い)きるってどういうことでしょうか。生(い)きることをあきらめる、やめてしまうってどういうことでしょうか。かんがえてみましょう。

☆やってみよう(チャレンジ)
 これから、どういうふうに生(い)きて、何(なに)をしたいのか、よくかんがえて、計画(けいかく)をたててみよう。それが、神様(かみさま)によろこばれることかどうかも、いっしょにかんがえてみよう。


着情報3.完全原稿

『報われた人生』
聖書箇所:ルカの福音書2章25〜38節
中心聖句:『主よ。今こそあなたは、おことばどおり、しもべを安らかに去らせてくださいます。私の目があなたの御救いを見たからです。』(ルカの福音書2章29〜30節) 2023年12月17日(日)第三アドベント礼拝説教要旨

 アドベントも第三週となり、来週はいよいよクリスマスです。皆で喜んで、与えられた救い主の誕生の時をお祝いしましょう。この時期は、日本でも冬至を迎え、ゆずのお風呂に入ったりする寒い時期になります。寒く季節の変わり目には、亡くなられる方も増えていくものです。救い主が生まれた事をお祝いする一方で、人の多くが亡くなるこの時期、誰でも生まれ、また死ぬという当たり前の事に対して、目を向けるべき時なのではないかと思います。

 人生、生まれて死ぬことは、人間であれば誰でも逃れられない宿命であります。それ故に、どのように生き、どのように死んだかと言うことは、ある意味、私たちの生き死に以上に大切なものなのではないかと思います。日本でも古来より、「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」と、何時でも死ぬことに目を向け生きるべきと言う価値観が根付いてきました。「生き恥を晒す」という言葉もある通り、「度を外れて無様に生き伸び、また生き延びようとすることは、死ぬより悲惨である」と考える人は、昔から日本に一定数以上存在していたようです。人間は生きて死ぬことに意味を求めます。生きがいや大切なもの、愛する人の喪失が、自分の人生の価値を見失う原因になることもしばしばです。そうなってしまえば「報われない人生」を意味も無く生き続けることは、私たちにとって途端に難しいことのように思われるのであります。

 シメオンとアンナの二人は、正にそのような「報われない人生」を生き続けた人でありました。シメオンは、「いつか救い主が現れ、正しい人が報われる時が来る」という、聖書の約束を信じて、敬虔に、正しく生き続けましたが、人生の終わりが近くになっても、その約束が果たされる様子が見られず、自身の死に対して安らかに向き合えない日々を送っていました。アンナは、若い時に結婚して七年間最愛の夫と連れ添いましたが、死別し、その後は預言者として、世をはかなんで過ごすという、感謝とは程遠い人生を六十年以上も生き続けました。自分の人生が正しかったと確信を持てないまま死の間際に置かれ続ける人生、最愛の人を失い、景色が色褪せたまま長く続く人生、どちらも生きるには苦痛な人生だと思います。それでも二人は、神様の前に正しく歩み、生きるということから目を逸らす事がありませんでした。その二人を見られた天の父なる神様は、お生まれになった救い主を二人に引き合わせ、その生き方に対して大いに報いられたのです。それによってシメオンは正しい人が報われる時が来たことを知って安らかになり、アンナには、やがて訪れる復活の希望が知らされ、神様に感謝することができたのです。生きる事を諦めなかった二人の人生は、この時、確かに報われたのです。

 天地を創られた神様は、私たちに真剣に生きることを求められます。何故なら、私たちはいつまでも死の中には置かれず、永遠に生きる存在として創造されたからです。救い主であるイエス様を信じて永遠の命を得るにしても、信じずに滅びて永遠の苦しみを受けるにしても、私たちの意識は継続し、何時までも存在し続けると聖書は宣言しています。私たちは、神様に創造されてこの世界に生まれた以上、最早無に帰ることは出来ないのです。だから、生きることに真剣に向き合う人を神様は喜ばれるのです。自分が罪びとであることを認め、回心し、共に生きることを望むならば、神様は喜んで私たちを御許へ迎え入れて、多くの恵みと永遠の命を与え、その人生を必ず報われるものへと変えて下さるのです。シメオンやアンナのように、終わったと思える人生を諦めずに生き続けるのは無駄なことでしょうか。神様が居なければそうかもしれません。しかし、この天地を創られた神様は生きておられ、今も存在しておられるます。だから恐れずに神様に近づき、私たちの人生を、今日から委ねる決断を行いましょう。


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