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主日礼拝説教(1月14日分)
聖書箇所:Tコリント人への手紙11章23〜34節

1.説教音声

2.CS教材着情報

子供用メッセージカード 聖書箇所(せいしょかしょ)「Tコリント11:23〜34」
中心聖句:『だれでも、自分自身(じぶんじしん)を吟味(ぎんみ)して、そのうえでパンを食(た)べ、杯(さかずき)を飲(の)みなさい。』(Tコリ11:28) 1/14(日(にちようび))

今日のポイント!
※聖書(せいしょ)のむずかしいことばやわからないことは、おとうさんおかあさんではなく、日曜日に教会学校(きょうかいがっこう)で先生(せんせい)にききましょう。

1.聖餐式(せいさんしき)は、礼拝(れいはい)の中(なか)で一番大切(いちばんたいせつ)な儀式(ぎしき)のひとつです。これを、聖礼典(せいれいてん)、サクラメントといいます。

2.わたしたちは、イエス様(さま)に、自分(じぶん)の罪(つみ)をひきうけていただいたので、罰(ばつ)をうけず、永遠(えいえん)のいのちを与(あた)えていただけます。でも、これは本来(ほんらい)はゆるされないことです。

3.けれども、イエス様(さま)は、わたしたちが罪の罰(つみのばつ)に耐(た)えられないことをしっているので、自分(じぶん)からこれを引(ひ)き受(う)けて、十字架(じゅうじか)のうえで、身代(みが)わりとなって死(し)んでくださいました。そして、わたしたちの罪(つみ)を、喜(よろこ)んで赦(ゆる)してくださるのです。

〇まとめ
 聖餐式(せいさんしき)は、わたしたちが、イエス様(さま)に罪(つみ)を引(ひ)き受(う)けて頂(いただ)いたことを記念(きねん)する儀式(ぎしき)です。だから、この式(しき)のあいだは、けっしてふざけてはいけません。洗礼(せんれい)をうけ、真剣(しんけん)に罪(つみ)をくいあらためて、これを受(う)けるのです。

☆考(かんが)えてみよう
 Q1.聖餐式(せいさんしき)は、洗礼(せんれい)を受(う)けている人(ひと)だけが、参加(さんか)することができます。けれども、実際(じっさい)には、洗礼(せんれい)を受(う)けているだけでは、聖餐(せいさん)を受(う)けるのに十分(じゅうぶん)ではありません。他(ほか)に必要(ひつよう)なことは何(なに)でしょうか。

☆やってみよう(チャレンジ)
 聖餐式(せいさんしき)に出(で)て、それがどんな式(しき)であるかを、実際(じっさい)に見(み)て、式分(しきぶん)を聞(き)いてみましょう。

着情報3.完全原稿

 『自分自身を吟味する』
聖書箇所:Tコリント人への手紙11章23〜34節
中心聖句:『だれでも、自分自身を吟味して、そのうえでパンを食べ、杯を飲みなさい。』(Tコリント人への手紙11章28節) 2024年1月14日(日) 主日礼拝説教要旨

 本日は、聖餐の箇所を開きました。聖礼典(サクラメント)の一つである聖餐式は、洗礼を受けた者だけが預かる事の出来る、キリスト教の中で最も厳かな儀式の一つです。聖餐式の最中は、誰であってもふざけることは許されません。それに加えてパウロは、誰でも自己を吟味しながら、これを受けねばならないと教えました。そもそも「聖餐」とは何なのでしょうか。

 聖餐は、イエス様が私たちに命じられた、パンを割き、杯を回して行う記念の儀式です(23~26節)。何の記念かと言えば、イエス様が、私たちを含む全ての罪びとに裏切られ、引き渡され、十字架の上で罪の罰の身代わりとなって死なれたことの記念です。渡される夜、聖餐を命じられた弟子達は、その後すぐに、祭司長達に捕らえられたイエス様を裏切り、逃げ出してしまいました。我が身可愛さに、イエス様に、全ての責任を押し付け逃げ出したのです。そのような弟子達の中に、私たち自身も含まれているのです。パウロは態々「主イエスは渡される夜」と書き記して、そのことに目を向けるようにコリントの信徒たちに教えました。聖餐の命令を、「私は主から受けた」と、直接の伝聞として語ったのも、「私たちは、皆その場にいたのだ」と教える為なのです。それ故、私たちは、聖餐を受ける度に、その命令の通りに、イエス様の十字架による死の意味を告げ知らせることを大切にします。常に聖餐台が礼拝の中心に置かれ、牧師が、十字架の死を中心に御言葉を取り次ぐのもそれが理由です。私たちは、自分が罪の責任と罰を、全てイエス様に押し付けて、十字架の死に明け渡した張本人です。その為に、今裁かれずに済んでいますし、何なら今現在ですら、「そうし続けている」のですから、この事実を粛に受け止め、聖餐へ臨まなければなりません。それ故にパウロは、乱痴気騒ぎで聖餐を台無しにしているコリント信徒に、聖餐を受ける際の自己吟味を厳しく求めたのです。

 聖餐を受ける際に必要な自己吟味とは何でしょうか。それは「自分が、到底聖餐を受けるに相応しくない者であること」を弁えることです。例え洗礼を受けていようが、私たちはイエス様に罪を押し付けて滅びを免れたのですから、例え誰であろうと、イエス様の前に出て聖餐を受けるに相応しいと自己評価できる人間は居ないのです。そうであるにも関わらず、私たちはイエス様から招かれて、聖餐の席でパンと杯を頂きます。それはただひたすらに、イエス様御自身が、私たちを聖餐の食卓へ招いて、受け入れて下さっているからに他ならないのです。イエス様は、渡される夜、全てをご存じになられた上で、弟子達を励まされました。ペテロに三度裏切る事を予告された後、立ち直ったら他の弟子を励ませるよう優しく祈り、慰められました(ルカ22章31〜34節)。同じように、イエス様は私たちが自らの罪の裁きに耐えきれないことをご存じになられた上で、私たちの罪を自ら引き受けて、御自分の十字架の犠牲によって「赦す」と宣言してくださいます。私たちを「相応しくないまま」で聖餐の席に招き、自らの血潮による新しい契約によって、罪の赦しと永遠のいのちの交わりに加えて下さるのです。

 聖餐は、私たちが考える以上に厳粛に、自らの事を吟味しなければならない場です。それを弁えず、聖礼典を軽んじれば、その大切さを理解させるために、神様御自身が、その者を懲らしめられる程であります。しかし、私たちが悔い改めて、自身に目を向けて吟味しつつ、聖餐の場に集うならば、そこにはイエス様の優しい赦しと招きがあり、私たちは本当に、喜びながら神様と共に生きる、活き活きとした人生の中へと招かれるのです。主日の全ての礼拝は、聖餐こそが中心となって行われます。私たちは、主日に教会へと集う時、十分に自己を吟味しながら礼拝に参加しているでしょうか。良く自らを吟味して、弁えつつ御前に詣でましょう。



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