『信仰の種火』
聖書箇所:士師記6章11〜24節
中心聖句:『ギデオンには、この方が【主】の使いであったことが分かった。』(士師記6章22節)
2024年1月28日(日) 主日礼拝説教要旨
先週、半信半疑でも聖書の御言葉を実行するなら、神様が大きな御業を起こして、私たちの心に、確信を与えてくださるということをお伝えいたしました。しかし、私たちにとって、まず、その行動を起こすことそのものが難しいようにも思います。中々言われて、はいそうですかと素直に従うことは難しいです。「信じてとりあえずやってみようか」という、種火のような最初の信仰こそ、私たちにとって、本当に得る事が難しいものなのではないでしょうか。
今日の箇所で登場するギデオンは、話の冒頭では小さな信仰すら失ってしまっている人でした。彼は、信仰深い父親によって教育を受けた為、この天地を創られた父なる神様が、イスラエルの民に対して大きな御業を起こされたことを知っていましたが、逆にそのせいでイエスラエルがミディアンに侵略されきっている現状とのギャップに苦しみ、信仰を失っていたようです。そのようなギデオンの所にやってきたのは、他の箇所にも登場する(創世記16〜22章、31章、出エジ3章etc.)「特別な御使い」(恐らく受肉前のイエス様)でした。しかし、そのような特別な方が現れても、ギデオンの態度はそっけないものでした。彼の中の信仰が、すっかり失われていたからです。例えどれだけ大きな御業や存在を見ても、信仰が無ければ、私たちは決して神様の前に自分の態度を改めることは出来ないのです。しかし、神様は、背を向けながらも、内心では信じたいと願っているギデオンの複雑な心の中を知っておられたので、彼の不平不満をとがめず、そのワガママに付き合われました。「私の贈り物によって、あなたが主であると証明してください」などと、試すような物言いをするギデオンに、神様は、肉汁で濡れた捧げものに火を起こし焼き尽くすという、祭壇へ祈るエリヤに与えられたものと同じ御業を、小規模ながらも、彼にお見せくださったのです(T列王記18章30-39節)。
主の御使いが去った後、ギデオンは、心の内に恐れを覚えました。何故なら、そこに居た御使いが本物であって、神様が、偉そうな態度や、物言い、挑戦するような要求にも応答して下さったことを知ったからです。ギデオンは、恐れと同時に、小さな信仰も取り戻しました。この小さな信仰を足掛かりに、これから彼は、大勇士の務め(14節)を果たし始めるのです。この種火のような小さな信仰は、神様に出会ったと思えるような体験をし、心の内に神様への恐れを抱いた時に、初めて手に入るものです。私たちも、敬虔でありたいと願うならば、この信仰の種火を手に入れるところから始めなければなりません。そうでなければ、私たちの信仰生活は、「神様と出会ったと言えるような経験が無」「神様のことを、恐ろしいと思ったことも無い」「結果、神様が居るか居ないかもわからない」、そして「本当に助けが必要な困難の中で、安心することができずにのたうちまわってしまう」、そのようなものへなり果ててしまうからです。いざと言う時にいつも祈り、確信をもって目を輝かせ、常に安心して前を向いていることができる。そのような信仰を手に入れたいとは思わないでしょうか。もし、そうありたいと願うならば、各々、まずは真剣に祈り求めるところから始めるべきです。私たちが真摯にそれを祈り求めるならば、神様は必ず、私たちと出会って、恐れを抱く体験を与えて下さいます。
どのような態度をとった後でも、神様は悔い改めた私たちを、十字架の血潮によって赦して下さり、心に信仰の種火を起こし続けて下さいます。そしてギデオンのように、御自分の働きへと招いて、共に歩もうとしてくださるのです。神様の前に、自分の信仰が不確かだと自覚しているならば、惜しみなくそれを与えて下さる神様に祈り始めましょう。神様は、真剣に求める心を喜んでくださり、私たちの信仰生活を、全く新しいものへと変えて下さるからです。
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