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主日礼拝説教(3月24日分)
聖書箇所:ルカの福音書23章44〜56節

1.説教音声

2.CS教材着情報

子供用メッセージカード 聖書箇所(せいしょかしょ)「ルカ23:44〜56」
中心聖句:『それから、戻って香料と香油を用意した。そして安息日には、戒めにしたがって休んだ。』(ルカ23:56)  3/24(日(にちようび))
今日のポイント!
※聖書(せいしょ)のむずかしいことばやわからないことは、おとうさんおかあさんではなく、日曜日に教会学校(きょうかいがっこう)で先生(せんせい)にききましょう。

1.今週(こんしゅう)は受難週(じゅなんしゅう)です。イエスさまが、わたしたちの罪(つみ)の罰(ばつ)のみがわりとなって、受難週(じゅなんしゅう)の金曜日(きんようび)に十字架(じゅうじか)にかかって、死(し)んでくださいました。

2.わたしたちは、誰(だれ)でも、自分(じぶん)が罪(つみ)びとであることを認(みと)めて、回心(かいしん)して、イエスさまを信(しん)じるならば、永遠(えいえん)のいのちを頂(いただ)くことができます。

3.けれども、この永遠(えいえん)のいのちを頂(いただ)くためには、わたしたちが、神様(かみさま)を恐(おそ)れて、忠実(ちゅうじつ)でなければなりません。

4.罪(つみ)がゆるされるからと平気(へいき)で悪(わる)いことをしたり、神様(かみさま)を馬鹿(ばか)にしたり、御言葉(みことば)なんてどうでもいいという態度(たいど)をとるひとは、神の国(かみのくに)にふさわしくはないのです。

〇まとめ
 イエスさまを葬(ほうむ)ったひとたちは、皆(みな)、神様(かみさま)を恐(おそ)れる忠実(ちゅうじつ)なひとたちでした。永遠(えいえん)のいのちは、このような人(ひと)たちのために与(あた)えられるものです。赦(ゆる)されるからといって、神様(かみさま)のことを侮(あなど)ってはいけません。わたしたちは、神様(かみさま)のみこころに、忠実(ちゅうじつ)な一人(ひとり)びとりでしょうか?

☆考(かんが)えてみよう
Q1.神様(かみさま)に忠実(ちゅうじつ)なひととは、どういうひとでしょうか。
Q2.神様(かみさま)に喜(よろこ)ばれないひととは、どういうひとでしょうか。
Q3.永遠(えいえん)のいのちを失(うしな)うときとは、どういうときでしょうか。

☆やってみよう(チャレンジ)
 自分(じぶん)のできる忠実(ちゅうじつ)さについて、考(かんが)えてみよう。


着情報3.完全原稿

『神の国の葬儀』
聖書箇所:ルカの福音書23章44〜56節
中心聖句:『それから、戻って香料と香油を用意した。そして安息日には、戒めにしたがって休んだ。』(ルカの福音書23章56節) 2024年3月24日(日) 主日礼拝説教要旨

 受難週となりました。イエス様は、この受難週の金曜日に、私たちの罪の罰の身代わりとなって十字架の上で死んで下さいました。これによって私たちは、罪について全ての負債が贖われ、神様の御前で、罪の無いものとして取り扱って頂けるようになったのです。イエス様が死なれたことで神殿の幕は完全に裂け、神様と私たちの間の大きな隔たりが取り去られました。全ての罪びとが救われる、新しい恵みの時代がやってきたのです。しかし、その恵みに預かる為には、私たち自身が、自らの罪を認めて神を恐れる、忠実な人にならなければなりません。

 今日の箇所に登場する、アリマタヤのヨセフという人は、イエス様の救いを受けるにふさわしい忠実な人でした。彼はイエス様の弟子であり(ヨハネ19章38節)、ユダヤの72人議会(サン・ヒドリン)の一員でありました(50節)。エルサレムに在住して故郷のアリマタヤには戻らず、死ぬまでそこで救い主を待ち続けるつもりであったようです。それは、彼が神の国を待ち望んでいたことや、エルサレムに真新しい墓地を所有していたことからも明らかでした。当時、ユダヤでは、墓は重要かつ貴重なものであり、一つの墓に何人も死者を葬ることが当たり前でした。エルサレムの街中にある墓は特に貴重です。そこに誰も使ったことの無い墓をわざわざ持っていたのだとすれば、それは自身を葬る為のものであったに違いありません。彼は、自身の死の為に備えていた貴重な墓を、イエス様の為に惜しみなく捧げたのです。十字架刑が行われた後も、イエス様こそ救い主であると信じて、彼は忠実に神の御子を葬りました。

 イエス様を葬ったのは、アリマタヤのヨセフだけではありませんでした。ガリラヤから従ってきた女性達や、以前イエス様を訪ねた議員の一人であるニコデモ(ヨハネ19章39節)もまた、その葬りに参加していました。イエス様の死は、弟子である彼女達にとって非常に衝撃的な出来事であったはずです。しかし、そのような中でも彼女達は冷静さを失わず、神様の定めた律法に従って、忠実に葬りの作業を行いました。しかも彼女達がイエス様を葬ったのは、金曜日の夕方で、日が沈み切れば安息日が始まる直前でありました。厳しい時間制限の中、彼女達は悲しみに耐えながら出来得る限りのことを行い、イエス様を葬ったのです。非常時故に、律法の定めなど無視してでも、丁寧に葬りたいと思ったことでしょうが、彼女達は律法の規則に忠実でした。神様を恐れ、自身の思いよりも神の国の支配を優先し、葬儀を行ったのです。
 十字架による救いは、このように、自身が罪びとであることを認めて神を恐れる忠実な人々の為に与えられたものです。神様は、イエス様を葬った人々の忠実さを喜ばれ、多くの報酬を与えられました。墓を献げたヨセフには、墓要らずの永遠の命の約束を与え、律法に忠実であった女性達には、復活の主に初めに出会う権利を与え、その忠実さに報いられたのです。

 十字架による新しい時代が訪れたと、私たちは良く耳にします。それに付随して、最早律法など私たちには何の関係ないという言葉も、よく耳にします。果たしてそうでしょうか。罪が赦されるからと平気で罪を犯す人や、奉仕を怠る人、神を恐れず、律法や聖書の御言葉を学ぼうともしない人が、果たして神の国に相応しい存在だと言えるのでしょうか。確かに私たちは、十字架を信じれば救われ、律法の決まりごとからも解放されます。しかし、解放されるからこそ、律法を守るしか出来なかった時代の人々以上に、律法の中の神様の御心を大切に出来なければならないのではないでしょうか。神様が、私たちに対して求められることは忠実さであり、この忠実さをもって、私たちはイエス様の十字架の血潮に報いることが出来ます。この受難週の中、神様への自分の忠実さはどこにあるのか、良く探ってみようではありませんか。



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