『キリストの証人』
聖書箇所:ルカの福音書24章36〜49節
中心聖句:『エルサレムから開始して、あなたがたは、これらのことの証人となります。』(ルカの福音書24章47〜48節) 2024年4月7日(日) 主日聖餐礼拝説教要旨
イースターから一週間が過ぎました。復活されたイエス様は、イースターの朝から天に昇られるまでのしばらくの間、多くの弟子達の前に姿を現されて大切なことを教えられました。その大切な事とは一体何なのでしょうか。それこそが、十字架の救いを信じる一人びとりが、福音の約束の証人になることでありました。私たちは皆、キリストの証人とされているのです。
エマオでの道で、復活したイエス様に出会った二人の弟子達が、他の弟子にそのことを知らせていた時、イエス様はその場に突然現れて、「平安があなた方にあるように(シャローム)」と挨拶されました。弟子達は、幽霊が出たと思って非常に恐れましたが、実際そこに立っているイエス様御自身が、自分が生きていることをお知らせになりました。その証拠に、触るべき肉体がそこにあり、手足も確かに存在していることを見せられて、しかも、食べ物まで食べてみせられて、実際に自分が生きていることを証明されたのです。その上で弟子達に対し、イエス様は、現在起こっている全ての出来事が、予め聖書の御言葉によって約束されていたということを教えられました。旧約聖書は、全てイエス様について証されていることであり、それらの御言葉は全て成就されることを、改めて弟子達に宣言されたのです。イエス様が、十字架の上で死なれ、復活されたこの時、既に罪の赦しを得させる悔い改めが、あらゆる国の人々に宣べ伝えられるようになるという御言葉がはっきりと実現していたのです。それを宣べ伝える証人として、イエス様を目撃した弟子達や、信じて救われた私たちは立てられています。
イエス様の十字架によって贖われ、救い出された人は、誰もがイエス様の証人とされます。私たちは、誰が何と言おうが、イエス様が死んで、復活したことを告げ知らせる役目をもった一人びとりなのです。そうは言えども、キリストの証人になるような実力など自分には備わっていないと思う人もいるかもしれません。その為にイエス様が私たちに送って下さったのが、キリストを証しする霊である、聖霊様なのです。私たち自身は、ただの救われただけの罪びとですから、もちろんキリストの証人として相応しい力や言葉を持ちあわせている訳ではありません。それどころか歴史を通しても殆どの兄姉が、イエス様と直接お会いしたことすらないのですから、私たちが証人になることはできないでしょう。しかし、証し主である聖霊様は違います。この方が私たちに対して、イエス様のことを救いの御業によって証明し、霊によって確信を与えて下さるので、私たちは、誰一人例外なく、見てもいないイエス様の死と復活を証し、十字架の贖いを自信をもって告げ知らせることが出来るようにされるのです。神様の栄光の為に生きている限り、語るべき言葉を持たずとも、必要な時、必要に応じて、人を救いに導く言葉を聖霊様がお語りになられます。私たちは、イエス様を証する力を着せられるのです。
エルサレムから開始してあらゆる国の人々に宣べ伝えられるという宣言の通り、今や私たちは、東の最果てである日本で福音を聞いて、救われた者とされています。最果ての地にまで証人を遣わし、今日この時も新しい証人を起こされ続けている。これこそが、御言葉を実現する神の力なのです。私たちは、自身の存在そのものが、御言葉の実現の証であることに気づいているでしょうか。しかし、そうであるというのに、私たちは自身の信じる福音に自信を持つことが出来ず、ことあるごとに、キリストを証すること以外の手段に頼り宣教しようとしてしまう弱さを抱えています。ここに人間の罪があるのです。私たちは、自身の存在がいかに奇跡的なものであるか、十分に自覚しているでしょうか。臆してはいけません。自身の存在をもってイエス様の死と復活を告げ知らせる。そのような一人びとりであろうではありませんか。
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