『非常に良い創造物』
聖書箇所:創世記1章26〜31節
中心聖句:『神はご自分が造ったすべてのものを見られた。見よ、それは非常に良かった。』(創世記1章31節)
2024年4月14日(日) 主日伝道礼拝説教要旨
聖書は、2000年前から、世界中で読まれ続けているベストセラーです。しかし、実際聖書を開いたことがあり、その内容を知っている人は中々稀であると思われます。まして、日本人の中では、正当なクリスチャンは0.5%も居ませんから、その内容を熟知している人は極極稀でありましょう。聖書は、神様から私たちに対して宛てられた手紙です。その最初に位置する創世記には、私たちが、一体どのような存在であるかについて、しっかり宣言されています。
創世記の第一章には、神が七日をかけて世界を創造された様子がはっきり書かれています。これをただの伝説やおとぎ話であると笑い飛ばすのは簡単ですが、実際に良く読んでみると、色々と面白いことが書かれていることがわかります。例えば、空の上と下にある大水とはどのようなものであったのだろうかとか、植物の植生は種類ごとに、それこそ遺伝子の枠に従って地から現れたとか、時間と言う概念が現れる4日目以前から、朝と夕という独立した別の時間軸の概念があったとか、2000年経った私たちの視点から見ても、興味深い記述ばかりです。これを踏まえて、最近では、この世界は神によって行われている壮大なシミュレーションなのではないか、という説を唱える学者も出てきています。実際にそれが正しいかどうかは、神のみぞ知るという所でしょうが、そのようなことがどうでも良くなるほどに、この創世記の1章には、とても大切なことが書かれています。それこそが、人間、即ち私たちが何の為にこの世界に生まれてきて、存在しているのかという根本的な問いに対しての答えなのです。
26節では、神が人間を創造する様子がはっきりと書かれています。人が神の形をあらわすものであるとか、似姿であるとか、意味深なことが色々書かれていますが、とりわけ大切なのは、人間が作られた趣旨の部分です。私たち人間は、ここにはっきり書かれている通り、神の創造物の全てを支配、即ち管理する者として創造されたのです。支配といえば、好き勝手に他の物を思い通りにすることを想像するかもしれませんが、本来、支配とはそういうものではありません。支配は、元々は仕事を配分したり、監督・指揮したりして、部下に仕事をさせる、即ちその本分を全うさせる為の管理いう意味合いがありました。私たち人間は、神様に創造されたという意味では、唯の動物に過ぎませんが、明確に神様からその在り方が規定されたという意味では、特別な動物に値します。即ち私たちは、この天地を造られた父なる神様の御心に適うように、世界を美しい形で保たせ続けるようにと、これを任された存在であるのです。
神様は、この世界を管理する私たちの存在を含め、「非常に良かった」と評価されました。その創造の業は今も続いています。私たちもかつては、母親の胎内で神様から「非常に良い」と言われて、創造されたのです。しかし、私たちは自身の生まれた理由を探らず、自らの欲望の為に人生を浪費し、この世界を造られた方と敵対して、その存在を否定することに熱を上げてしまいます。ここに人間の罪があるのです。私たちは、この世界が一体誰に造られたのかという問題に対し、もっと真剣に向き合わなければなりません。そうでなければ、私たちは知らない内に、この世界を造られた方から、「滅びなければならないもの」として扱われることになってしまいます。そうならないように、私たちが思い立てば、何時でも神様の事をしることが出来るようにと、イエス様は十字架に架かり、私たちの罪の罰の身代わりとなって死んで下さいました。だから、私たちが知りたいと願い、神様に近づきたいと考えるなら、私たちはいつでも神様と顔と顔を合わせて生きる関係の中へと、直ぐにでも招かれることが出来るのです。だから、この世界を創造された方に興味を持って近づこうではありませんか。
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