『全ての人が預言する』
聖書箇所:使徒の働き2章1〜21節
中心聖句:『終わりの日に、わたしはすべての人にわたしの霊を注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。』(使徒の働き2章18節)
2024年5月19日(日) ペンテコステ伝道礼拝説教要旨
ペンテコステになりました。イエス様が送って下さった約束の証し主である、聖霊様に目を向ける時と致しましょう。聖霊様は、イエス様が私たちの罪の罰の身代わりとなって死んで下さったことを証するために送られた、神の霊そのものです。三位一体の神様の御一格であり、天の父なる神様や、子なる神であるイエス様と等しい存在であられます。聖霊様は、イエス様がこの世界に来られるまでは、預言者やイスラエルの王様など、一部の選ばれた人にしか宿られることの無い特別な存在でありました。しかし、イエス様が天に昇られた後、五旬節(ペンテコステ)の日を境に、十字架の救いを信じる人全てに注がれるようになったのです。
聖霊様は、イエス様を信じて受け入れた時に誰一人漏れる事無く与えられます。何故なら、この聖霊様こそが、私たちの信じる福音の約束の保証そのものだからです。聖霊様が居られると確信できるようになるまでは、人によって時間が掛かることもありますが、福音を信じて洗礼を受けたならば、自覚があろうとなかろうと、確かに心の内に宿られているのです。
では、具体的にこの聖霊様が注がれると私たちはどのようになるのでしょうか。イエス様の十字架の救いが真実であるということを、強く確信出来るようになります。私たちは、イエス様を目で見ることが出来ませんし、十字架の死を目撃することも出来ませんから、聖霊様の助けなしには、イエス様の十字架による贖いも、永遠の命と新しい身体、そして神の子としての身分が与えられるという福音の約束の報せを聞いたりしても、それをにわかに信じることが出来ません。よしんば、信じたとしても、証拠も確証もないことをずっと信じ続けることは不可能なことでありましょう。そのような私たちの心に働きかけて信じる思いを起こさせ、その後には心の内に宿って、私たちの「信じた」という選択が正しかったことを証しし続けて下さるのが、聖霊様の働きなのです。それまでイエス様を十字架に掛けた人々に自分も捕まって殺されてしまうのではと怯えていたペテロも、この聖霊様を与えられた直後から力強く立ち上がって、証し始めました。聖霊様によって、心の内に確信が与えられたからです。この確信によって、ペテロに限らず、全ての人がイエス様の十字架を証し、預言するようになるのです。
このような事を聞ても、信じられないと思うかもしれませんが、事実、この現代でも、誰一人例外なく、信じた瞬間から神の霊が世界中で与えられ続けています。今が、ペテロの宣言した「終わりの時代」であるからです(17節)。神の御子であるイエス様の十字架の贖いが完成されるまで、天の父なる神様は、私たち人間に決断を迫ることなく、全てのことを隠されていました。しかし、それが完成された今、その必要はなくなり、全てのことが明らかにされました。永遠の命を得て、新天地で神様と共に過ごすか、それとも、神様と共に行かず滅びの中に入るか、各々が決断出来る為の材料が、全て私たちの前に揃ったからです。終わりの時代は既に始まっています。それから2000年も経ちました。現代に於いては、ますます聖霊様の力は強まっています。世を二分する為に、「信じる」決断をした人は、益々強い確信が与えられ預言し、「信じない」と決めた人には、益々十字架が愚かなものに見えるようになっているのです。
今やペテロの宣言した「終わりの時」にすら終わりが近づいており、イエス様の予告された終末の予兆が全世界で起こり続けています。決断できる時間も残りわずかです。私たちはどうでしょうか。どっちつかずで居ることは出来ません。今からでもイエス様を信じ、聖霊を受け入れることを検討し、向き合うべきです。その行動が正しかったことは、後に証し主である聖霊様御自身が証明して下さいます。だから恐れず、永遠の命を得る為の決断を行いましょう。
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