『ふるいに残される為に』
聖書箇所:マタイの福音書13章1〜17節
中心聖句:『持っている人は与えられてもっと豊かになり、持っていない人は持っているものまで取り上げられるのです。』(マタイの福音書12章12節) 2024年7月21日(日) 主日伝道礼拝説教要旨
パリオリンピックが、いよいよ今週の金曜日から始まります。オリンピックの競技種目は多岐に渡る為、事前情報を入手しなければ、自分の見たい競技を応援するどころか、何の競技があるのかもわからないまま期間が終わってしまうかもしれません。事前の準備と言うものはとても大切です。しかし、時に私たちは、「準備不足」を言い訳に、面倒だからと物事に取り組むのを先延ばしにしてしまうこともあります。もし、そのような怠惰を「良し」としてしまっているなら、もしかしたら永遠のいのちを取り逃してしまうことになるかもしれません。
私たちはいくつになっても、知らないジャンルに触れる時には、初心者にならなければなりません。初めて挑戦することがリスクを伴うものならば、入念な下調べ無しには、恐ろしくて踏み出す気にもなれないでしょう。それが、自分の人生や生き方に関わるような内容なら、猶更のはずです。教会に誘っても、多くの方が二の足を踏んでしまうのは、そこに原因があるように思います。「宗教は危ないのではないか」「神なんて本当にいるのか」とは誰でも考えることですし、そもそも最近は、一部の宗教カルトの暴走が原因で、「そもそも、誘われた教会が本当に本物なのか」というところから疑わざるを得ません。その結果、例え教会に興味があっても、「敷居が高い」と感じて二の足を踏み、「また今度」とか「生活を整えてから出かけます」と言って、自分の人生や、救い主のイエス様、またこの天地を造られた父なる神様の存在について知ること、学ぶことを後回しにしてしまうのです。今日読んだ聖書の箇所で、イエス様の周りに集まってきた人々も、大半はそのような人々でした。イエス様の説教には興味があっても、イエス様個人と関わって本当にその内容を知りたいと考える人はおらず、弟子たちのように、近寄って質問することも無しに、遠巻きに見ているだけだったのです。
そのような人々に対して、イエス様は、あえて「たとえ話」を用いて、真理を隠しながら話されました。イエス様はその理由について弟子達に、「持っている人には更に与え、持っていない人からはすでに持っているものまでも取り上げる為である」と説明されました。「たとえ話」は、熱心に聞く人には素晴らしい真理を聞かせますが、聞く気の無い傍観者には真理を隠し、何も理解させず立ち去らせる物語です。これによってイエス様が言われている通り、聞く耳のある人だけが真理に触れることが出来るのです。もし聞く耳のある人ならば、イエス様に近づき、人格的に交わって質問し、良く理解して帰ることが出来ます。しかし、そこまでしようとしない人は、イエス様の真意をいつまでも理解出来ないまま終わってしまうのです。しかもイエス様はその後、十字架に掛かり、昇天して地上から居なくなってしまいました。宣言通り「また今度聞こう」と先延した人たちからは、次に聞く機会すらも奪われてしまったのです。
イエス様は、私たちが罪の罰を受けなくて済むように、身代わりとして十字架の上で死んで下さったというのに、私たちは、それを知ることすら面倒に思って、後回しにしたり、頑なに拒んで聞こうとしなかったりしてしまいます。この怠惰な部分にこそ、人間の罪があるのです。時間が経てば経つほど、神の御国や永遠のいのちについての御言葉は受け入れる事が難しくなっていきます。イエス様が「毒麦のたとえ」で言われている通り、神の国を受け入れる人と、受け入れない人が、このことを通して誰が見てもはっきりするぐらいふるい分けられるからです。私たちは今日、この場で聞いている御言葉こそが、今後の人生を通して見ても、一番受け入れやすいものであることを知るべきです。今が一番受け入れやすいのだからこそ、決断を先送りにしてはなりません。今日、迷わずイエス様を信じて、永遠の命を手に入れましょう。
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