『神に至る計画』
聖書箇所:ローマ人への手紙11章32〜36節
中心聖句:『すべてのものが神から発し、神によって成り、神に至るのです。この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。』(ローマ人への手紙11章36節) 2024年8月19日(日) 主日礼拝説教要旨
先日テレビで、某異端カルト集団について特集されました。「宗教」という存在そのものに対する不安を煽る内容であり、自分の人生に向き合ったり、天地を創造された神様の存在に向き合ったりすることに忌避感を覚える方も多かったのではないかと思われます。しかし、それでも私たちは、この天地を創造された神様という存在に向き合わなければなりません。今も天地を創造された神様は実在して、私たちの人生に関わり続けておられます。このことを考慮して生きなければ、私たちの人生は思わぬところで恐ろしい結末を迎えることになるからです。
聖書は、「この世界は全て父なる神様によって創造された」と私たちに証言しています。天の父なる神様は、この天地万物あらゆるものを創造された後、それを管理する存在として私たち人間を創造されました。神様は、最後に創造された特別な存在である人間(すなわち私たち)をとても大切に思っておられ、私たちと永遠の時を共に過ごすための計画を立ててくださいました。それが、私たちが誰一人例外なく神様のところへやってきて、永遠の命を手に入れて、神様と共に過ごせるようになるという計画なのです。当初、神様は最初の人間であるアダムとイヴ、そして、その子供たちと深く交わって永遠の時を過ごす計画を立てておられました。しかし、ご存じの方も多いように、人間二人が罪を犯したのでそれは不可能となりました。それどころか、その時に彼らが食べた知恵の実のせいで、私たち人間は誰一人例外なく罪を犯すようになってしまい、神様の前で正しく生きることが出来なくなってしまったのです。神様の作られた世界で罪を犯した者は、その存在を抹消されなければなりません。収穫物の中の腐った果物が捨てられるように、プログラムの中の不具合が消去されるように、罪を犯した人間も等しく裁かれ、例外なく永遠の滅びに投げ入れられると、聖書には書かれているのです。
その酷い状態をご覧になられた神様は、これを「仕方ないことだ」とは受け入れられませんでした。勿論、すべてをなかったことにして人間を作り直そうとも思われませんでした。全てのことをご覧になられた上で、罪を犯した私たちが救われる道を作り上げる為に、大きなご計画を立ててくださったのです。それこそが、神の独り子であるイエス様を十字架に架けて死なせ、私たちが罪の為に受ける罰の身代わりにするという救済の計画だったのです。神の御子であり、三位一体の神の一人で、父なる神様と等しく、また罪のない存在でもあるイエス様が、私たちの身代わりに十字架にかかって死んでくださいました。それによって私たちは、自分が罪びとであることを認め、悔い改めて、イエス様と十字架による罪の赦しを信じるならば、誰一人例外なく全ての罪が赦されて、永遠の命と新しいからだ、神の子の身分を受けて、神様のもとに至ることができるようにしていただけるのです。それだけでなく神様は、私たちがその良い知らせを知って、一人でも多い人が決断して救われるようにと、今日も眠らずに働き続けてくださっています。しかし、私たちはそのような神様を無視して、むしろ神様に「関わらないでほしい」とその存在を忌避して逃げ続けてしまいます。ここに人間の罪があるのです。
私たちは、誰一人例外なく、神様によって母親の胎で創造され、神様によって救いの道が開かれ、その御許に招かれて永遠の時を過ごせるようにされています。しかし、この恵みは、私たちが自分の意志で決断できるうちに手に入れなければなりません。そろそろ世の終わりも近いと聖書は警告していますし、私たちがいつまで生きられるかもわからないからです。私たちはどうでしょうか。後でも決断できると油断してはいけません。真剣に神様に向き合うべきです。イエス様を信じて、共に永遠の命にあずかって、神様の許に至ろうではありませんか。
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