『本当に大切なこと』
聖書箇所:ルカの福音書15章1〜7節
中心聖句:『一人の罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人のためよりも、大きな喜びが天にあるのです。』(ルカの福音書15章7節)
2024年9月15日(日) 主日伝道礼拝説教要旨
普段は気にならずとも、何かのきっかけで不意に自分の犯した罪を思い出して恐ろしくなったり、自身の現状に思い悩んだりしてしまうことは、私たちにとって珍しいことではありません。しかし、これを思い悩んだところで解決は望めませんし、人に相談することもはばかられるように思われます。自分の本性を知られることで、誰からも愛されなくってしまうという恐怖が、常に付きまとうからです。結果、私たちは考えるのを止めて現状維持に甘んじたり、居心地が悪くなって人目を避けたり、更には生きる意味を見失って死んでしまいたいと思うようにすらなってしまいます。自分の本性を直視することは、とても辛いことです。そのような私たちについて、私たちを創造された方はどのように思われているのでしょうか。
今日開いた箇所は、九十九匹と一匹の羊についてイエス様が語られた箇所です。イエス様がこのたとえ話をされたのは、他の人々から批判(すなわち、取税人や罪びとと周囲から呼ばれている人たちと食事をしていることについて)に応答する為でありました。このたとえ話の特徴的な部分は、「100匹羊を持っている人がいたら」ではなく、「あなたが、100匹羊をもっていたら」という仮定で話されている点です。イエスさまはこのたとえ話によって、私たちの立場から見た神様ではなく、神様の立場から見た私たちについて考えるように促されました。
私たちは、自分の犯した罪について考える時、その問題の深刻さの故に、相手の立場に立ってこれを考えて判断することがとても難しくなるように思います。人間関係に慎重である人ほど、「自分なら赦せる失敗だから、相手も赦してくれるだろう」と楽観的に考えることが難しくなります。問題を深刻に考え過ぎて、自分で自分を追い詰めてしまう人も決して少なくはないはずです。しかし、敢えてイエス様は、神様の立場になって考えるようにと、私たちに求められました。神様の立場から物をみることは、その御心を知る上でとても大切だからです。
相手の立場にたって物を考える時、私たちは相手にとって一番大切なことが何であるかについて気づくことが出来ます。では、100匹中1匹の羊を見失った直後の人にとって、一番大切なことは一体何でしょうか。それは残りの99匹を維持することでも、居なくなった1匹について怒ったり、悲しんだりすることでもなく、居なくなった1匹を取り返すことではないでしょうか。それは神様の立場でも同じことです。神様もまた、私たちが失われないこと、もし失われたならば、それを取り返して、一人も居なくならないようにすることを、最も大切なこととして考えて下さいます。私たちに落ち度があろうが、罪びとであろうが、その思いには関係ないのです。神様は、私たちが失われない為ならば、どんな犠牲でも払ってくださいます。それがたとえ、愛する独り子を私たちの罪の罰の身代わりにして、十字架の上で死なせてくださるという代償であったとしても、私たちの為に惜しみなく支払ってくださるのです。
神様は、私たちをご自身の手で創造されたが故に、私たちのことを誰よりも愛してくださっています。私たちがどのような罪を犯し、失敗していたとしても、私たちがイエス様を信じて救われた時、居なくなった羊を見つけた人のように、大喜びで私たちを担ぎ上げ、迎え入れて下さるのです。しかし、私たちは神様のことを嫌い、神様の立場に立って物を考えることもしないので、勝手な思いで自分や他人のことを責め、裁こうとしてしまいます。ここに人間の罪があるのです。私たちがどのような状況にあろうが、神様は私たちを愛されています。これを忘れてはなりません。だから恐れずにイエス様を信じ、神様に見つけ出して頂きましょう。
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