『どのように生きるのか』
聖書箇所:ルカの福音書 7章36〜50節
中心聖句:『この人は多くの罪を赦されています。彼女は多く愛したのですから。赦されることの少ない者は、愛することも少ないのです』(ルカの福音書 7章47節)
2024年10月27日(日) 主日礼拝説教要旨
ようやく秋を感じるこの頃です。秋といえば、食欲の秋とも言われますが、よく考えてみると「ゆず」や「かぼす」などのように、とてもよく似ている食べ物があることに気づきます。この事と同じように、聖書の物語でもよく似ているものがあり、同じ物語であると思い込んでしまっていることもあります。今日取り上げたい箇所は、「罪深い女の油注ぎ」です。この「女」は誰で、どのような女かはわかりませんが「罪深い女」としてよく知られていました。
この「女」はパリサイ人の家にイエス様に会いにやってきました。パリサイ人は律法を守っていな い人たちを非難し、さげすんでいました。そういった理由で、この「女」がパリサイ人の家に行くことには大変勇気が必要でした。歓迎されないことはもちろん、嫌がられ、非難されることも覚悟して、やってきました。そして、女はイエス様に会いましたが、自分の罪に心を痛めていて、涙が止まりませんでした。当時ユダヤの人たちは食事の時横たわって食べたので、女は簡単にイエス様の足に近づくことができました。女は高価な「香油の入った石膏の壺」を持ってきました。土や砂で汚れているイエス様の足に涙が落ち、女は汚れも気にせず涙を自分の髪の毛で拭いました。これは意味深い行為です。ユダヤの婦人は公の場では髪の毛を下ろしませんでした。女は深い感情に捕えられて、我を忘れているようです。女がイエス様の足に口づけしたことも極めて異例の事ですから、深い感情が女を動かしたのです。そして最後にイエス様の足に香油を塗りました。足に塗ったのは、謙遜を表しています。この女が以前にイエス様に会ったことがあるのかはわかりませんが、イエス様の教えによって罪が示された 1 人だったのでしょう。そしてイエス様は、この女の 3 つのことを褒めました。@涙がとまらないほど自分の罪を悲しんだこと。A心からイエス様を愛したこと。B自分の大切なものであってもイエス様への愛ゆえに捧げたことです。そしてこのようなことができたのは、イエス様を信じ、この方こそ救い主であると心から信じたからでした。
私たちはどうでしょうか。私たちも救われた喜びを何度も思い出し、イエス様のところに行きましょう。絶えず悔い改め、祈り、教会で心から神様を礼拝いたしましょう。また、女は汚れている足であっても気にせず口づけを行うほどにイエス様を愛しました。私たちもイエス様を心から愛し奉仕をいたしましょう。最後に、女は自分の高価な香油をイエス様の足に塗りました。これはイエス様への献身を表しています。イエス様の必要の力になりたいと思い、自分から進んでイエス様にとって良いと思う事をしました。私たちも与えられたものに感謝し、それらを神様の御用のために使っていただきましょう。イエス様は、この女が大きく変えられた事を評価しました。罪の中で生きていた者が、自分の罪に涙し、悔い改め、愛し、献身する者に変えられたことを喜ばれているのです。
聖書は、終わりの時、人間は必ず神様に仕えることが無駄であると考えるようになる、と語っています(マラキ3:14〜18)。しかし神様は、私たちの行いを決して忘れることがなく、神様に従い、大切にする人には、多くの恵みを与えてくださいます。私たちの生きているこの世は、正しく生きていても必ず良いことがあるとは限らない世界ですが、神様を大切にする人には、神様からの恵みは必ず与えられます。この世で与えられる「神の恵み」とは、インマヌエルの神の安心と平安です。
そして、私たちはイエス様の再臨の日、正しい人と悪い人、神様を優先している人とそうでない人の違いを見ることになります(17)。神様は私たちが神様のことを知って悔い改め、その後は全く変えられることを喜んで下さるお方です。私たちはどのように応答するでしょうか。
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