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主日礼拝説教(11月3日分)
聖書箇所:Tコリント人への手紙15章11〜19節

1.説教音声

 

2.CS教材着情報

子供用メッセージカード 聖書箇所(せいしょかしょ)「ローマ10:8〜17」
中心聖句:『もし死者(ししゃ)の復活(ふっかつ)がないとしたら、キリストもよみがえらなかったでしょう。』(Tコリント15:13) 11/3(日(にちようび))
今日のポイント!
※聖書(せいしょ)のむずかしいことばやわからないことは、おとうさんおかあさんではなく、日曜日に教会学校(きょうかいがっこう)で先生(せんせい)にききましょう。

1.教会(きょうかい)は、2000年(ねん)の間(あいだ)、福音宣教(ふくいんせんきょう)を行(おこな)ってきました。

2.福音宣教(ふくいんせんきょう)で宣(の)べ伝(つた)えられることは、キリスト、すなわちイエスさまが復活(ふっかつ)した、という事実(じじつ)です。

3.イエスさまは、わたしたちの為(ため)に死(し)んだあと、たしかによみがえってくださいました。そのおかげで、わたしたちの罪(つみ)はゆるされますし、終(お)わりの日(ひ)に復活(ふっかつ)できるようにもされたのです。

4.わたしたちが復活(ふっかつ)するためにイエスさまはよみがえられました。だから、イエスさまの復活(ふっかつ)が事実(じじつ)なら、わたしたちの復活(ふっかつ)も事実(じじつ)なのです。イエスさまは、死者(ししゃ)の中(なか)からよみがえった一人目(ひとりめ)として、わたしたちにその姿(すがた)をみせてくださったのです。

〇まとめ
 イエスさまが復活(ふっかつ)してくださり、それが確(たし)かなので、わたしたちの復活(ふっかつ)と、永遠(えいえん)のいのちの約束(やくそく)も確(たし)かであるということができます。だから、教会(きょうかい)はいつだって、キリストの死(し)と復活(ふっか)を、宣べ伝えようとするのです。

☆考(かんが)えてみよう
Q1.イエスさまが、復活(ふっかつ)した証拠(しょうこ)はどこにあるでしょうか。聖書(せいしょ)の少(すこ)し前(まえ)を探(さが)してみよう。
Q2.なぜ、永遠(えいえん)のいのちをいただく為(ため)に、復活(ふっかつ)することが必要(ひつよう)なのでしょうか。考(かんが)えてみよう。

☆やってみよう(チャレンジ)
 福音宣教(ふくいんせんきょう)の内容(ないよう)を、おさらいしてみよう。

着情報3.完全原稿

『救いの保証』
聖書箇所:Tコリント人への手紙15章11〜19節
中心聖句:『もし死者の復活がないとしたら、キリストもよみがえらなかったでしょう。』(Tコリント人への手紙15章13節)  2024年11月3日(日) 主日礼拝説教要旨 

 本日の箇所で取り扱う内容は、キリスト教における根幹の部分で、かつ、信じたクリスチャン達が一番不安や疑問に思っていると思われる部分です。「イエス様を信じれば本当に永遠の命が与えられるのだろうか?」。この疑問は常に私たちの脳裏に存在するものです。教会に反対する人々もそれは良く知っていて、「死人の復活など無い」と言いふらし、多くの兄姉を不安に陥れようとしていました。「死人の復活」とは、世の終わりにイエス様が再び地上においでになった際に、イエス様の復活を信じた人が、死者の中から復活するという約束の事です。「実のところ、結局蓋を開けてみなければ分からない」と、ひそやかに考えている聖徒も少なくないように思われます。私たちはどうやって、この約束に確信を得れば良いのでしょうか。

 私たちが罪の赦しや、永遠のいのちの約束について「信じることができる」と判断できる材料は、2000年間教会が宣べ伝え続けてきたキリストの復活です。これが事実であるという前提に立っているからこそ、私たちは福音の約束の真偽について、「信じる」という判断を下すことが出来ます。既に5〜6節で語られた通り、このコリント人への手紙書かれた当時は、男性だけで500人以上の証人が「復活したイエス様を見た」と証言していました。現行の裁判でも、複数人の証言は明確な証拠として扱われますから、「キリストの復活は確かに事実である」とみて問題ないはずです。だからこそ、私たちはそれを前提に、罪の赦しや永遠の命の話題に移り、これを検証していくことができます。故に、全ての土台はキリストの復活なのです。

 では、キリストの復活が事実であることを前提に考えると、何をいう事ができるのでしょうか。それは、「死人の復活」は必ず起こるということです。何故なら、「死人の復活」が無いと言う前提に立つと、全ての論理が破綻してしまうからです。何故でしょうか。それは、キリストの誕生も、苦難も、死も復活も、この「死人の復活」を目的に行われたことだからです。目的が無くなれば、必然的に全ての行為が無駄となります。全知全能である父なる神様が、目的もなく意味もない行動によって、自分の大切な独り子を無駄に死なせるようなことがあるでしょうか。「死人の復活」が果たされる為に、イエス様は人間として生まれて下さり、私たちの罪の罰の身代わりとなって十字架にかかって下さいました。もし、この前提が覆されるというなら、私たちの罪も許される必要がなくなってしまいます。だからこそ、死人の復活が無いなどという言葉は荒唐無稽なのであり、論理的に見てもあり得るはずがないことなのです。
 何故、「死人の復活」が目的だという事が出来るのでしょうか。それは、私たちを創造された神様が私たちの事を一方的に愛していて、私たちが一人も滅びずに救われる事を願って下さっているからです(ヨハネ3章16節)。私たちが、永遠のいのちと新しいからだ、神の子としての身分を受けて、神様と永遠に共に生きる者となることが、神様の御計画の最終目標です。そこに至るために、私たちは必ず復活する必要があるのです。だからこそ、神様の最終的な目的を見据えれば、死者の復活も含めて、全ての約束は実現されると断言できるのです。

 これら全ての報せの中心は、キリストの復活です。だから、私たちクリスチャンは、いつもキリストが復活されたことを宣べ伝え続けます。これを信じるか信じないかは、その人次第でありますが、しかし信じたというのならば、そこには確実に罪の赦しと、死者の中からの復活が約束されているのです。私たちは唯、自分が罪びとであることを認め、悔い改めて、イエス様の復活を信じると口にすれば誰でも十字架の血潮によって救われます。ですから、キリストの復活を信じ、自身の復活も信じて、今日からでもイエス様を信じて救いに入りましょう。





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