『永遠の初穂』
聖書箇所:Tコリント人への手紙15章20〜22節
中心聖句:『アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストにあってすべての人が生かされるのです。』(Tコリント人への手紙15章22節) 2024年11月10(日) 主日礼拝説教要旨
先週に引き続き今日の箇所も、私たちの信仰に於ける、根幹的な部分を取り扱っています。それが何かと言えば「キリストの復活」についてです。何故キリストが復活したのか。何故それを信じなければ救われないのか。私たちにとって身近で大切な問いであると思います。この問いに対して私たちは無知であってはなりませんし、良く学ばなければなりません。
神の御子として、罪のない人間として、キリストが霊肉共に私たちの罪を贖って下さったにも関わらず、何故「キリストの復活を信じた人間」しか救いに預かることが出来ないのでしょうか。それは、アダムに「在る」者全員が死を受けるように、キリストに「在る」者だけが死者の復活を受けるからです。「在る」とは在籍する、即ち属するという意味であり、属するとはそこから生まれたことを意味します。私たちはアダムの子孫なので、生まれた時からアダムによる死、即ち永遠の滅びに属しています。そこから救われる唯一の道は、アダムの所属から転属し、キリストに属する者が受ける死者の復活に預かることなのです。しかし、アダムに属する者からキリストに属する者へ転属し生まれ変わる為には、自分の意志による決断と宣言が必要です。更に宣言した後には、その手続きの為にこれまで犯した全ての罪の対価を支払い清算する必要もあるのです。イエス様はその為に神の御子として、更に罪のない完全な一人の人間として十字架に掛かり、私たちの罪の罰の対価を先立って、霊肉共に支払って肩代わりしてくださったのです。それゆえ、私たちは「私は今日、キリストに属する者へと生まれ変わる」と神に向かって宣言するだけで、キリストに属する者となることができるのです。このキリストに属する者になると決断することを「回心」と呼び、「キリストを信じる」と宣言することを「信仰告白」と呼びます。そして、その誓約と生まれ変わりの儀式がバプテスマなのです。
ですから「死者の復活」は、イエス様の十字架の犠牲によって罪の対価を支払い、自らの意志で「キリストに属する」と宣言した人にしか受けることが出来ないのです。これは果たして真実だと確信して良いことでしょうか。これが真実であることは、キリストが今や復活し、今日も存在し続けていることにより保証されているとパウロは宣言します。キリストは十字架による死から三日目に復活し、私たちの前に現れて、その身体を見せて下さいました。犠牲となったキリスト本人もまた、死者の復活に預かることが出来る普通の人間の内に数えられていたので、復活することが出来たのです。復活したキリストは、初めに復活したことを除けば、完全に私たちと同じただの人間でした。だから完全な普通の人間としてキリストが受けたものは、私たちも同じく確実に受けることが出来るのです。復活したキリストが受けたもので、私たちが得られないものは何一つありません。それを証明し、私たちに目撃させる為に、キリストは最初に「死者の復活」を受けたのです。それ故、キリストは収穫された最初の麦束である「初穂」と呼ばれました。二束目が無い収穫物は「初穂」とは呼びませんから、キリストが「初穂」であり続ける限り、私たちもまた、二束目、三束目として、死者の復活に預かることが出来るのです。だからキリストは、復活に預かる私たちの長子であり、永遠の初穂なのです。
しかし、私たちはキリストが復活し、その身体を見せて下さったにも関わらず、また、キリストに属する為の全ての障害が取り除かれているにも関わらず、これを信じず、拒絶し、「死者の復活など無い」といって、かたくなにアダムに属し続けることが正しいと確信し続けてしまいます。ここに人間の罪があるのです。私たちは、自身の今後について、どのような決断を下しているでしょうか。キリストに属する決断を行い、永遠のいのちに預かりましょう。
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