『何にも勝るしるし』
聖書箇所:マタイの福音書12章38〜42節
中心聖句:『しかし見なさい。ここにヨナに・・ソロモンにまさるものがあります。』(マタイの福音書12章41〜42節)
2024年11月17(日) 主日伝道礼拝説教要旨
クリスマスが近づいてきました。次週は飾り付けを行い、次々週にはアドベントが始まります。父なる神様と等しく、この天地を創造された子なる神が、私たちの為にその力を全て捨てて、救い主として、全く力のない一人の人間として生まれて下さいました。この方がイエス様です。「イエス様は救い主である」と受け入れる時、私たちには永遠のいのちが与えられます。
イエス様は、この地上に私たちと全く変わらない一人の力のない人間として生まれて下さいました。およそ30年の間、弟と妹、また寡婦となった母親の為に石工(石を使って建築を行う大工)としてしっかり働かれた後、私たちの罪の罰の身代わりとなる為におよそ三年間の公生涯に立たれました。イエス様ご自身は、力のない全く普通の人間であられましたが、歴代のイスラエル預言者たちと同じように、与えられた聖霊によって、怪我人や病人を癒したり、父なる神様から委ねられた権威によって悪霊を追い出したりされました。何よりも、イエス様は子なる神として、父なる神様の御心を完全に理解しておられたので、聖書の御言葉を人間ではなく、神様側の視点から、権威をもって教えられました。イエス様がこの世に生まれ、特に公生涯を過ごされた数年間は、実際に目に見えず、話すことも出来なかったはずの神様が、この地上に実在されたと言う、人類5000年の歴史の中でも唯一の貴重な時間だったのです。
そうであるにも関わらず、イエス様が公生涯を過ごされた時、当時の時代に生きた人の殆どが、決してイエス様が救い主であると信じませんでした。目の前で病人が癒され、悪霊が追い出され、権威ある知恵の言葉を聞いても尚、彼らはイエス様に対して「お前が救い主である証拠を見せろ」と迫ったのです。イエス様は彼らに、「ヨナのしるし」が与えられると言われ、また「ソロモンに勝る」知恵がここにあるのがしるしであるとも言われました。ヨナは旧約聖書の時代、色々あってニネベの町へ運ばれる途中、大魚のお腹の中で三日間過ごした人です。また、有名なソロモン王は、輝かしい知恵の故に、遠くのシヴァという国からわざわざ女王様がその言葉を聞く為に尋ねてきた程の人物でありました。イエス様はこの後、死にかけただけのヨナと違い、十字架によって本当に死に、三日目に蘇られます。ソロモン王は、人間の知恵によって褒めたたえられましたが、イエス様は、子なる神様としての知恵をもって御言葉を教えておられました。しるしを求めた不忠実な人々にイエス様が言われた通り、ヨナとソロモンに勝る方が、確かにそこに居られたのです。今の時代であっても、イエス様が復活された事実は、教会によって2000年間告げ知らされていますし、神の御言葉としてのイエス様の知恵も、新約聖書でいつでも読むことが出来ます。しかし、今も昔も、私たちはそれを目の当たりにしておきながら、当時の人々と同じように「証拠を見せろ」と声高に叫んで、目の前の確かなしるしを無視してイエス様を疑うのです。ここに裁かれるべき人間の罪があります。
聖書は、罪を犯した人はこの世の終わりの時に必ず裁かれると宣言し、その罪の対価は永遠の滅びであるとはっきり告げています。この罪の罰から逃れ、永遠のいのちを得る為には、私たちの為に罪の罰の身代わりとなって死に、三日目に死人の中からよみがえられたイエス様を信じるしかありません。父なる神様は、偉大なる三位一体の神の御一角だった子なる神を、私たちの罪の罰の身代わりにする為に、全ての力を取り去った上で、人間に生まれさせて、十字架で死なせて下さいました。これこそ、ソロモン王の知恵でも予測出来なかった、神の知恵による究極の救いなのです。ヨナに勝り、ソロモン王の知恵に勝るイエス様の復活という出来事を、私たちは信じることが出来るでしょうか。イエス様を信じ、永遠の命に預かりましょう。
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