『心の内の平和』
聖書箇所:ルカの福音書2章1〜20節
中心聖句:『地の上で、平和がみこころにかなう人々にあるように。』(ルカの福音書2章14節)
2024年12月22(日) クリスマス礼拝説教要旨
クリスマスになりました。この世に来られた救い主、イエス様の誕生を共にお祝いしましょう。今日の箇所は、羊飼いたちのところへ御使いガブリエルが訪れ、イエス様の誕生を告げ知らせた有名なシーンです。ガブリエルの告知が終わると、おびただしい数の主の軍勢が現れ、盛大に賛美が行われました。「いと高き所で、栄光が神にあるように。地の上で、平和がみこころにかなう人々にあるように」と賛美された通りに、羊飼いたちにはこの出来事によって、心の内の平和が与えられたのです。誰でも、心の内は平和でありたいと願っているものです。この羊飼いたちのように心の内の平和を手に入れるには、一体どうすればよいのでしょうか。
今日の箇所に出てくる羊飼いたちは、周囲から罪びとと呼ばれ、自らの胸を痛め続けている人々でした。この人たちは自分たちの羊飼いという生業の故に、安息日に礼拝を守ることが出来ないことを心苦しく思っており、人から言われるまでもなく、自分たちが罪びとであることを自覚していました。当然ながら、そんな生活の中で心の内に平和などあろうはずもありません。だから、神様の栄光によって照らされた時、彼らは非常に恐れました。「とうとう自分の罪が裁かれる時が来た」と思ったからです。私たちも、自身の生活の乱れや、心の内に起こる悪い考え、また人に知られていない悪い行いなどを振り返って思い出すとき、いつか誰かに必ず裁かれることになるはずだと、本能的に感じたことはないでしょうか。そのように感じると、心の内に平和が無くなります。例え謝罪できる出来事を思いつく限り謝って赦しを得ても、決して胸騒ぎが収まることはありません。「私はいつか誰かに裁かれ、罰を受けるに違いないのだ」と漠然と考え続ける人生のどこに、心の平和などというものがあるのでしょうか。
聖書は、私たちに対して、終わりの時に全ての罪が清算される時が必ずやってくると、はっきり宣言しています。だからこそ、この大きな問題を解決しない限り、私たちはいつまでたっても心の内の平和を手に入れることが出来ません。では、この大きな問題を解決する為にはどうすれば良いのでしょうか。その方法こそが、羊飼いたちも非常に恐れた、私たちを裁く神様に向けて顔を上げ、一歩近づくということなのです。御使いは、自身の罪の故に恐ろしくなってひれ伏している羊飼いたちに、「恐れることはありません」と優しく声をかけました。そして、正に羊飼いたちの為のしるしとして、彼らがその日に出会うことができる為に、救い主がわざわざ、馬小屋という場所でお生まれになられたという知らせを伝えたのでした。
神様は、罪を正しく裁かれる方ではありますが、私たちを裁くことを楽しまれる方ではありません。むしろ、私たちを赦して「何とか裁かれずに済むように」と考えて下さる方です。だからこそ、神様は私たちの為に何でもしてくださいます。その為に、大切な独り子を十字架にすらかけられました。自分が罪びとであると深く自覚しながら、それでも赦されたいと切望する人々の心の内に罪の赦しを与え、イエス様と出会わせて、救い出してくださったのです。
イエス様が罪の罰の身代わりに死んで下さったので、私たちは自分の罪の対価が既に支払われたことを確信し、心の内の平和を手に入れることが出来ます。この平和は心の中だけでなく、神様との間にも保たれている素晴らしい平和です。私たちは、自身がどうしようもなく悪い存在であるのに、この十字架の贖いによって、神様に受け入れられたと強く確信を持つことが出来るようになります。だから自身の弱さや悪さを直視して、心の内の平和を失うことも無くなるのです。「みこころにかなう人」とは、自分の弱さと罪を認め、深く悔い改めて神様から赦されたいと切に願う人々を指します。羊飼いたちはそうでありました。だからイエス様と出会って、心の内に平和が与えられました。私たちの心は、御心に適っているでしょうか。
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