『永遠への希望』
聖書箇所:Tコリント人への手紙15章29〜34節
中心聖句:『目を覚まして正しい生活を送り、罪を犯さないようにしなさい。神について無知な人たちがいます。』(Tコリント人への手紙15章34節) 2024年12月29(日) 年末感謝礼拝説教要旨
年末になりました。お正月の準備に忙しい方も多いと思います。そのような年の締めくくりに至ってすら、毎日様々な情報が次から次に聞こえてくるので、気ぜわしくてなりません。ジェンダー問題の逆転や、株の情報や暗号資産の乱高下の報せ、この年の瀬で外交に於いても不穏な話が聞こえてきますし、ミニマリストが情報発信する一方で、物価の高騰によって早めの物資確保が呼びかけられたりしてもいます。「朱に交われば赤くなる」「触らぬ神にたたりなし」という言葉が通用する時代でもなくなりました。私たちは常に、「新しい情報」に晒されて、自分がどう生きるべきかについてすら揺るがされる毎日です。こんな世の中で、自分の人生の指針を揺ぎ無く定めるためには、一体どうすれば良いのでしょうか。
今日の箇所でパウロは、様々な情報に翻弄されるコリント教会の信徒たちに、決してぶれることなく、確かに信じなければならないものが存在することを教えます。それこそが、永遠に対しての希望です。私たちは今、この世界に確かに生きているのですが、死んだ後のことについては、実際のところ何もわかっていません。死ねば全てが無に帰して後には何も残らないという人もいます。だから「明日にはどうせ死ぬのだから、今日好き放題しようじゃないか」とそう言って好き放題する人々が当時も多く、コリント教会の多くの人々もその言葉に惑わされて正気を失っている有様でした。確かに、魂など存在せず死ねば消えてなくなるだけならば、人を傷つけてでも人生を楽しんだ人間が一番賢いということになるのでしょう。しかし、パウロは今日の箇所で「そんなことは絶対にありえない」と完全に言い切っているのです。
実際に、世の中の多くの人が好き勝手に生きることが正解であると考えながらも、そのように生きることが出来ません。それは心のどこかで本能的に、本当はそれが正解ではないと予感しているからではないでしょうか。聖書はなんといっているでしょう。この天地を造られた父なる神様によって、私たちの行いは正しく裁かれ、清算されると宣言しています。だからその予感は、実際に正しいのです。私たちの死後に全ての物事が正しく清算されるので、自暴自棄な生き方は決して正解にはなりえません。そして他でもない、その裁きを行われる方が、御子の犠牲の血によって私たちの罪の赦しと永遠への時間を約束して下さっているので、私たちは「永遠の時間」を前提に自身の人生を見定めていくことが出来るのです。私たちは、この福音の約束によって永遠に生きるだけでなく、新しい天地をイエス様と共に相続し、管理していく使命を与えられるのだと言うことをあらかじめ聞かされています。それ故、私たちは来るべきその時に備えて、自らの能力を養うために、今生の歩みの中でひたすらに訓練を積み重ね続けているのです。老人になっても、私たちから不思議と学ぶ意欲が失われないのも、自堕落に生きることに焦燥感を覚えるのも、全ては私たちの永遠の時間に対する予感からくるのです。
パウロは、「死ねば終わり」と嘯く人々に対して、「そんなことなどあるものか」と反論し、惑わされる人々に「正気に戻れ」と呼びかけています。天の父なる神様は、文字通りこの天地を創造され、キリストを復活させ、今日も私たちに聖霊を送って、心の内のどうにもならない部分を聖めて下さっています。そのような方に、死者を復活させ、罪を裁く程度のことが出来ないと、私たちは本当に信じるのでしょうか。神様は間違いなく、私たちを復活させて永遠の時間を与えるだけの力を持たれています。この永遠への希望によって、私たちはどのような価値観が流れ込んできても惑わされず、揺るぎない人生を歩むことが出来るのです。今年も私たちは、様々な神様の御業を目撃し、体験しました。今、私たちの心は揺らいでいるでしょうか。
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