『永遠の開花』
聖書箇所:Tコリント人への手紙15章35〜49節
中心聖句:『しかし神は、みこころのままに、それにからだを与え、それぞれの種にそれ自身のからだをお与えになります。』(Tコリント人への手紙15章38節) 2025年1月12(日) 成人祝福礼拝説教要旨
今週は、成人式です。小さな身体で生まれた赤ちゃんが、すくすく成長して大人になっていく様を見るのは、いつの時代でも感慨深いものがあります。人間に限らず、この地上の殆どの生物は、多くの変身を遂げて大人に至ります。最初の姿からでは、大人になった時の本来の姿を知る由もないでしょう。成人された方も同じく、この時に至って初めて、自分の本当の姿を知ることが出来たのではないでしょうか。ところで、私たちは更にもう一度大きな変身を遂げると聖書が言っているのをご存じでしょうか。それこそが、復活による永遠の開花なのです。
今日読んだ聖書の箇所では、復活の教えを聞いて「死んで腐って骨になった身体で、どうやって永遠に生き続けられるだろうか」と嘲る人々に、パウロが強い言葉で反論しています。当時のローマ社会は、現代より死が身近で、遺体も火葬せず石室に葬るのが一般的でしたので、誰もが「屍体は腐り、最後は骨だけになる」ということを知っていました。だから、「復活する」と言われても、ゾンビのように腐った屍体が石室から出てくると考える人が多かったようです。しかしパウロは、そのような人々に対し「いつも撒いている種粒を見れば、復活の理屈もわかるはずだ」と教えました。小麦は、最初はみすぼらしい小さな種粒でも、地面に蒔けば芽が出て成長し、最後は黄金の美しい穂となって収穫されることは、コリント教会にいる誰もが当然のように知っていたことです。だから、これ以上は何も起こらないと思われる枯れた骨からでも、神様は想像もしえない全く新しい身体を造り上げられるとパウロは言ったのです。
私たちに与えられる復活の姿も千差万別です。同じ種類の種粒が同じように撒かれても、その成長の仕方が違うように、時が来れば神様は、私たちにそれぞれの個性に応じた新しい身体を与え、その功績に従って輝かしい栄光を纏わせて下さると約束してくださっているのです。
また、変えられるのは肉体そのものだけではありません。私たちは新しい身体の属する先も、土から出たアダムから、天から出たキリストへ改められます。何故なら、イエス様がまず、十字架の贖いを完成したことによって死者の中から復活し、土の身体の上に、天から出た新しい身体を、他でもない天の父なる神様によって着せられたからです。土の身体の上に天から出た身体を纏われたので、イエス様は土ではなく、天から出たものとされました。同じく、十字架を信じて復活の恵みに預かる私たちもまた、同じ天から出た身体を、土の身体の上にイエス様に着せて頂けるので、その所属を「土のアダム」から「天のキリスト」に変えられるのです。
最後に、私たちは復活の身体によって完全な聖めを受けて、内面までも完成されます。これが栄化です。「御霊に属する身体」とは、聖霊様によって完全に統制された身体という意味です。私たちは、洗礼を受けた後に至っても、少なからず自身の霊の邪な部分や肉体の欲求に振り回されて罪を犯すのですが、それは私たちの土の身体が不完全で、聖霊様による統制がまだ完全に行き届かない為です。しかし、復活によって御霊に属する身体に変えられた時、私たちの内に宿る聖霊様は、いかんなく全ての力を行使できるようになります。それ故、私たちへの聖めもまた完全なものとなって、私たちは最早罪を犯さない完全な内面を与えられるのです。
このような約束が与えられているのは、ひとえに天の父なる神様が私たちを一方的に愛し、永遠に共に歩みたいと望んでくださっているからです。もし、自分の罪を認め、悔い改めて、この恵みと招きに応じるならば、私たちは今日からでも、すぐにこの復活による永遠の開花の約束を受けることができます。私たちは、この招きにどのように応答できるでしょうか。
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