『主の働き人』
聖書箇所:Tコリント16章10〜12節
中心聖句:『彼も私と同じように、主のみわざに励んでいるのです。』(Tコリント人への手紙16章10節)
2025年2月23(日) 主日礼拝説教要旨
昨今の技術革新によって、私たちはVRなどの仮想現実を通し、実際には存在しないはずの光景を見て、訓練を行うことが出来るようになりました。仮想現実は現実そのものではありませんが、それを通して見る光景は、私たちに様々な恩恵をもたらしてくれます。例えそれが現実でなくとも、私たちにとって「見る」という行為は、とても大切なことです。その一方で、私たちは、有名な哲学者インマヌエル・カントの言うように、自分たちの知っている物の見方でしか物事を観測することが出来ません。物事の本質を、ありのままに観測することが出来ないのです。それは、私たちの仕える教会の働きについても同じことが言えます。私たちは、この世の視点ではなく、霊の視点によらねば、神様の御手の業に対して、正しい判断や理解を得ることが出来ません。私たちは、霊の視点によって物を見ることが出来ているでしょうか。
今日の聖書箇所で取り扱われている、年若く頼りないテモテと、逞しく雄弁で、頼りにもなるアポロの二人の働き人を通し、私たちは、霊的な物の見方がどのようなものであるか学ぶことが出来ます。コリント教会の人々は、頼りないテモテを侮り、その一方で、雄弁で頼りになるアポロこそ、自分たちに相応しいと考え、その訪問を切望していました。アポロ派などという派閥が出来上がってしまう程、彼の「ファン」はコリント教会に多かったようです(1章12節)。しかし、彼らに対しパウロは、「テモテは私と同じぐらいに尊い働き人である」と厳しく戒め、切望されたアポロ本人も、「そのようなコリント教会には、絶対訪問することがない」と堅い意志を示しました。それもこれも、コリント教会の人々が、この世的な視点でしか物事を見ることが出来ず、霊的な視点が養われていないことが原因でした。彼らが悔い改めて、霊的な視点を養われない限り、パウロが言う「良い機会」は永遠に訪れることがありません。
コリント信徒たちの、この世的な視点とは何でしょうか。それは、働き人の能力や資質にばかり目を向けて、神様の御計画は、神様御自身の手によって進められるという部分に目が向かない物の見方を指します。神様の御手の業は、働き人の良し悪し程度で結果が左右される程、弱々しいものではありません。一流の大工が居たとして、彼は使い古されたぼろぼろの工具では、何も作ることが出来ないでしょうか。そんな事はありません。ぼろぼろの工具でも、立派な素晴らしい家具を作ることが出来るはずです。それが一流というものだからです。同じように、この天地を造られた神様も、取り扱う働き人が誰であろうと、御自分の計画を成し遂げられます。神様ご自身が、その人を使うと決め、御業を起こされることを決められたからです。そこに不可能など、決してありません。しかし、私たちはしばしば、働き人を用いられる神様の御手の業の力強さを忘れて、働き人そのものに目を向けて一喜一憂してしまいます。ここに人間の弱さがあります。神様の御手の業の前には、働き人の良し悪しなど、大した問題ではありません。そのような部分に目を向けられることが、霊的な視点を持つということなのです。
私たちは、「神様の御手の業は、私たちのあらゆる常識を、全て覆すほどに強いものである」ということを信じ、それを前提に物事を見定める視点と思考を持たなければなりません。何故なら、目の前で起こっていることを、目で見たままではなく、霊的な視野も含めて見通すことが出来るとき、私たちはこの世の人とは全く違う次元で、物を捕らえて、考えることが出来るようになるからです。霊的な視点によって物事を見通すことが出来るようになった時、私たちは何も恐れず毎日を過ごすことができるようになります。この世の全てを覆す神様の御手の業の力強さを目撃して、知った時、私たちの生き方はどのように変わるのでしょうか。
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