『聖なる挨拶』
聖書箇所:Tコリント人への手紙16章19〜24節
中心聖句:『聖なる口づけをもって互いにあいさつを交わしなさい。』(Tコリント人への手紙16章20節)
2025年3月9(日) 主日礼拝説教要旨
私たちは、毎週日曜日の礼拝に集って、礼拝が終わればお互いに安否を確認し合います。最近の出来事や、報告事項に加え、時には不安に思っていることや、解決すべき問題も共有して話し合うことが出来るはずです。これはとても素晴らしいことです。私たちにとって、そのように互いに挨拶を行い、心置きなく様々な相談をできる間柄が保たれていること、これは当たり前のことではありません。先週は、教会の宝についてお話しましたが、この事柄も同じぐらいに大切な教会の宝であり、私たちが是が非でも手放してはならない、神の民の要なのです。
「口づけをもって聖なる挨拶を行いなさい」と言うパウロの命令ですが、私たち日本人は、口づけという文化に全く馴染みが無いので、とても奇妙に思えるかもしれません。しかし、当時の中東からギリシャ地域の文化では、同性同士が頬に軽く触れる形で口づけを行い、親愛の挨拶を交わすことは、至極一般的で好ましいことであるとされていました。当然性的な事柄を連想させるようなやり方での口づけや、あのイスカリオテのユダのように、相手をあざむく為に口づけを行って親愛を偽装することは、当時であっても現代以上に忌避される行為でした。故に、「教会の中で聖なる口づけをもって挨拶が行われている状態」とは、互いに何の悪意もなく、本心から相手の事を好ましく思った上で、互いの状況に心を配ることが出来る状態を意味するのです。挨拶に口づけが用いられているかどうかは、さほど重要ではありません。
そう聞けば、「なんだそんな簡単なことか」と思う教会も多いかもしれません。しかし、これが実現出来ている状況は、実際には大変稀有なケースです。決して、当たり前のことだと軽んじられてはなりません。例えば、パウロがこれを厳しく言い含めたコリント教会にとって、「互いに悪意なく聖なる挨拶が交せる状況を作り出す」という目標は、最大にして究極の達成が難しい課題でした。何故なら、その状態を達成する為には、手紙の中でパウロに指摘されている諸問題について解決することは勿論、指摘されなかった細々としたトラブルに至るまで、全て適切に解決され、和解に導かれる必要があったからです。教会の中に揉め事やわだかまりが一切無く、皆が心を痛める分裂も無い状態を、決して当然のものと受け取ってはなりません。これが達成出来ている状況そのものが、神様からの偉大な祝福の御手の業だからです。
もし、これが達成できていないと教会全体が痛感するならば、悔い改めて、皆で一致して、聖なる挨拶が再び行えるように諸問題を解決していかなければなりません。もし、解決に向けての一致すら行えないような状態なら、まずは、教会に集う各々が、「主を愛(フィレオウ)する」努力から始めなければならないでしょう。フィレオウとは親愛を意味する言葉です。神様のことを、親しみと好ましさをもって愛しているならば、当然、その喜ばれる御心に沿い、協力したいと各々が思えるはずだからです。「もし、キリストの十字架によって贖われ、救われておきながら、父なる神に親愛すら持つことの出来ない恩知らずが存在するというのなら、主の再臨に至るまで、未来永劫呪われるが良い」と、パウロは宣言します。それ程までに、教会で聖なる挨拶が交わされる姿を、私たちは追い求め続けなければならないのです。
この名古屋教会は、互いに聖なる挨拶を交わすことが出来る状態にあるでしょうか。パウロは「目を覚まし、その状態を保つことが出来ているか、互いに確認し合うように」と私たちに勧めています。もし、達成出来ているのなら、素晴らしい教会への祝福を、主に在って心から感謝しましょう。もし、出来ていないなら、主を愛し、皆で一致して問題の解決に取り組んで行きましょう。主を愛し、互いに愛し合って、聖なる挨拶を交わしていこうではありませんか。
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(日曜日のみ)